●東海道本線3207F
大垣
2013年7月26日
今回のダイヤ改正で姿を消したJR東海エリアでのJR西日本車の乗り入れです。朝晩に加古川⇔大垣間を走るロングランでしたが、これも過去帳入りしました。
大垣を6時55分に発車して米原を7時30分発、終点加古川は10時49分に到着します。
前回、写真が見つからなかったので追補としてアップします。
米原16時40分到着しました。
ここは関西と関東・北陸との交通の要衝で、在来線全盛期には北陸路の列車も加わり、また機関車の付け替えなど鉄道の一大分岐点として知られていました。
1889年、現在の東海道本線:関ヶ原ー馬場(現在の膳所)間と、北陸本線:長浜ー米原間が開業したことに伴い、両線の接続駅として設置されました。
しかし、関ケ原ー長浜間には既に鉄道が存在しとおり、当時は長浜ー大津間は鉄道連絡線(大湖汽船)により結ばれていましたが、これで東京(新橋)と大阪が鉄道により結ばれました。
大垣ー関ヶ原間は1000分の25の急勾配区間を擁すため、関ケ原越えるための補助機関車や北陸本線の起点として機関区が設けられ、多くの蒸気機関車が根城としていました。
戦後唯一の動輪5軸の超重量級蒸気機関車:E10や黎明期の電気式ディーゼル機関車:DD50も在籍していました。
⚫︎国鉄E10
石動
撮影日不詳
(絵葉書より)
⚫︎国鉄DD50
葉原信号場ー新保
1962年4月
(絵葉書より)
⚫︎国鉄471系急行”加賀”
金沢
1963年4月20日
(絵葉書より)
北陸本線の始発駅として大きな役割もあり、国鉄時代は客車区が置かれて北陸線の普通列車に運用されていたほか、郵便などの荷物の積み替えも多く当時の構内は賑わいました。
1955年、米原貨物操車場が駅南側に移転・拡張されたことにより東海道線と北陸線の貨車の授受作業、貨物列車の編成組成も行われるようになりました。
この際に上り線は大きく湖側に離れて上下線間に操車場を抱き込む形になります。このとき上り線の2面4線のホームが新たに設けられて下り側1~5番線と上り側7~10番線(6番線は欠番)の間には操車場への通路線が複数入り長い跨線橋が渡されていました。
機関区も電気機関車対応の施設が新設され1964年10月の東海道新幹線開業では在来線上りホームに隣り合う湖岸側に駅舎(西口)が設けられました。
国鉄分割民営化後は東西の駅舎はJR西日本が、構内の新幹線部分をJR東海が管理することになります。在来線では客車列車の減少とともに機関区・客車区は廃止されて1998年には操車場の縮小整理と基盤整備に合わせて下りホームが上り側に移設され、新たに1面2線のホームを設けるとともに、東口駅舎も移設新築されました。旧の下りホーム3面5線と東口駅舎は解体され、跡地は新しい駅前広場として整理されて現在に至っています。
さらに2009年には橋上化が完成し東西自由通路上に在来線(JR西日本)と新幹線(JR東海)の駅舎が並ぶ形となっています。
⚫︎EF510-8
米原
2016年3月21日
北陸本線の貨物牽引機は電化後は1957年の敦賀電化で登場したED70から北陸トンネル開通により1962年の福井電化に伴いEF70・ED74が登場し本格的に電気機関車の運用が始まりました。
1968年の日本海縦貫線の電化完成により、EF81の活躍が始まりました。
⚫︎敦賀機関区に集うEF81
敦賀機関区
1986年11月30日
(絵葉書より)
当初は旧型客車を連ねての客車急行から各駅停車、様々な種類の貨車を連ねての操車場間貨物牽引などに活躍しました。
JR化後も永らくEF81が主力としてかつやくしましたが製造から40年が経過し現在では後継機:EF510に世代交代が進んでいます。
EF510-8号機は富山機関区に配属され0番台が23輌ともと東北本線での寝台列車牽引機の500番台が9輌の計32輌が配置され活躍しています。これは富山機関区の配属車輌48輌のうちの3分の2を占めています。
運用区間は吹田貨物ターミナルー青森信号場間と城東貨物線の百済まで運用されています。
⚫︎JR東海道本線817T
新快速 姫路行き
223系2039F
米原16時58分発の姫路行きです。車内はまだまだガラガラですが京都18時06分、大阪18時50分、神戸の三ノ宮は19時20分、終着の姫路へは20時26分着となるので、夕方のラッシュ時は日祝でも相当混み合うことでしょう。なお、平日の場合は近江塩津17時05分発の米原16時48分、京都17時42分、大阪18時13分、神戸の三ノ宮は18時37分、終着の姫路へは20時2619時20分着となります(列車番号:3495M)。さらに播州赤穂が19時56分着となります。