広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。
その日の夕方は地震がありました。ひがき乳腺クリニックは本通ヒルズの7階にあるので、揺れは大きく感じました。耐震構造はしっかりしているとのことでしたから、安心はしていました。
診療が終わると、私は腰をいたわりながらゆっくりと本通を歩き、待ち合わせ場所に向かいました。その日は8人のメンバーが集まりました。
半数の4人は卒業以来でした。私たちは呉三津田高校の同級生で、納涼会をすることになったのです。
私を含め4人は、現役の開業医(1人は歯科医)でしたが、残りは定年後の人生を楽しんでいるようでした。皆、私と違って骨折はないようでした。
男ばかりのためか、当時のマドンナの話になりました。ナンバー1は数年前亡くなったとか、ナンバー2は同級生同士で結婚したがすぐに別れたとか・・・。
(同級生の)出世頭である浜田省吾のマドンナはMさんで、そのエピソードはテレビでドラマ化されたことがあるそうです。卒後50年以上たってその事実を知る私は、高校時代には勉強以外に興味がなかったことにしておきましょう。
広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。