広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。
60代半ばのその方は、転勤族で全国を転々とされたそうです。30代の時、その方は福山におらました。
胸が痛いために、いくつかの病院を受診されましたが、相手にしてもらえなかったそうです。その後その方は、国立福山病院(現福山医療センター)で私の診察を受けられました。
当時私はまだ30代でしたが、一般消化器外科だけでなく乳腺にも力を入れていました。診察後、私は乳腺の嚢胞の内容液を注射器で抜きながら、「これは痛かったでしょう」と優しく声をかけて差し上げたそうです。
その後、東京などを転々とされ、今は地元の広島に帰られたその方は、乳頭から血性の乳頭分泌があるとのことで、この度、ひがき乳腺クリニックに来られました。何も覚えていない私に、その方は昨日のように詳細に当時のことを説明してくださいました。
誰でもそうですが、30年も前、一回受診したときのことは、先生の名前はもちろん、何も覚えていないのが普通だと思います。それから数年後、広島市民病院に移動して本格的に乳腺の道を歩み始めた私には、それまでにいくつかの伏線があったのだと今気が付きました。
広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。