広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。
私が広島市民病院に赴任したときは、一般外科医でした。その後、「臓器別」という考えを当時の主任部長が唱えられ、私は「乳腺」の担当となりました。
それまでの広島市民病院では、乳房温存手術が行われておらず、私が第一例を執刀した時、「そんな手術をして、その患者さんの将来に責任が持てるのか」と言われた上司ではありましたが、乳腺を私に任せてくださいました。
それからは私なりに頑張りましたが、それを支えてくださった一人に、私より一回り以上年上の開業をされていたN先生がおられました。ずいぶん、多くの患者さんをご紹介いただきました。
当時は医師会でも医療事故を担当されており、そうでなくても暗くなりがちな、医療事故に関わられた先生方を、笑顔で支えられていました。人柄は最高で、その先生の口から他人の悪口は聞いたことはありませんでした。
私が開業を考えたときも、(恩を仇で返すことになるので)その先生が引退されてからと、心に誓っていました。しかし、私も年をとるし様々な考えがあり、9年前に開業を決意しました。
その時にまずご報告させていただいたときのN先生は、「それはいい。息子も開業するんだよ」と言われました。この度、お亡くなりになったと連絡をいただいたとき、私はまず思ったことは、「今私があるのはN先生のおかげです」の一行です。
N先生ほどの人格者は、もう出ないかもしれません。広島市民病院乳腺外科のI先生を除いては・・・。
本当にお世話になりました。ゆっくりとお休みください。合掌。
広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。