再入院してからは、段々と弱っていき、食欲もほとんどなくなっていきました。
でも生きたいという気持ちが強く、サンドイッチ食べたいとか、プリンが食べたいというリクエストがあったので、できる限り届けました。
そして四月二十日、私が朝のパート中に病院から電話があり、「呼吸が弱くなり、意識朦朧としています。お別れが近くなっているようです」
と言われ、早退させてもらい病院に駆けつけました。
二日前には飲むゼリーを冷たくて美味しい、と言いながら飲んでいたのに。もう意識はなく苦しそうに呼吸していました。
二日前、また来るね、と言ったら夫は痩せた顔でニッコリ笑ってバイバイと言いました。それがちゃんとした最後の会話でした。
前日にお見舞いに行った時は、半分寝ているような意識がハッキリしない状況でしたので、覚悟はしていました。
意識のない夫にたくさん話しかけて、子供たちのことは大丈夫だから安心してね、ありがとうと何度も 伝えました。
すると半分開いている、でも焦点の 合わない目から涙がつーっと流れました。
耳は最後まで聞こえるって本当なんだな。
私も呼びかけながら涙が止まらなくなりました。
私が着いてから一時間後ぐらいに息を引き取りました。
呼吸が止まるちょっと前に、何かを伝えるように顔をクシャッとしてくれました。
ありがとうって伝えたかったのかな、子供たちをよろしく、って言いたかったのかな。
もう痛みはないからゆっくり休んで欲しい。まだ寂しさを感じる余裕もなく、これが現実なのかと途方に暮れました。
非情にもすぐに葬儀社を決めなければいけなくて、亡くなった夫のそばで自宅近くの葬儀社を探す手配をしました。病院と提携してる葬儀社もあるのですが、自宅に近い方が後々楽だと思い、自分で探しました。
夫の妹と、夫の父が会いに来ましたが、間に合いませんでした。義父は施設に入っているので外出するのに時間が掛かるので最期を看取ることは出来ませんでした。
夕方、手配した葬儀社の方がお迎えに来て、色々処置をした後、一旦遺体を葬儀社に安置するため運んでいきました。
紫の布をかけられた夫を乗せて去って行く車に向かって、病院の職員の方々と頭を下げながら見送りました。
まるで夢を見ているみたいに、現実感がなくて不思議な気持ちでした。
夫がもうどこにも居ないなんて全く信じられなかったです。