ノボの生き活きトーク 682号: 小沢征爾と江戸京子への感慨(その1) | 生き活きノボのブログ

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 昨日から冷たい雨が降っている那珂市です。 どうも明日からの三連休も天気がぐずつくようで、特に25日の日曜日には、雪が舞うかもという予報です。

 

 今月初めの5.6日にかけても関東地方では雪が降りましたが、ノボは7日から2週間家を留守にして、神奈川と東京に滞在しており、その間、この「生き活きトーク」が書けず、お休みしていました。 神奈川に移動した直後、ニュースで“世界の小沢”こと指揮者の小澤征爾が6日に亡くなったという報に接しました。 すると、小沢についての個人的で一方的な想いが湧いて、それを書きたいという気持になりましたが、帰宅するまではお預けにしていました。 それからまた、小沢の前妻であった江戸京子も、実は1月23日に亡くなっており、訃報は続くものだと、思った次第です。

 

 小沢征爾と江戸京子(敬称略)は有名人ですから、一般の人々同様一方的に、ノボもよく知っていました。 特に、小沢については大々的に報道され、テレビでも追悼番組が放映されていましたから。 従って、ノボがここで、このご二人について解説したところで、余計なお節介であり、また正確な話も出来ないでしょう。 そんなことは、ネットや書物に任せて、ご二人に対して持っていたノボの個人的な感慨を述べることにします。 それはノボに限定された思い出ですが、もしかすれば、同じ想いを持っておられる人もおられるかも、またそういう一般人の想いを抱かせたお二人の素晴らしさを称賛することにもなるかも知れません。

 

 ノボが小沢の存在を知ったのは60年前のことで、中学1年の時です。 宮崎の片田舎では、当時クラシック音楽など生演奏はおろか、レコードやラジオ、テレビでもなかなか聞けない状況です。 音楽の授業を終えて教室から出る時、年配の男の先生(この先生は校歌を作曲されていた)が、フランスのブザンソンで、日本人の小沢が優勝していると教えてくれたのです。 ノボは、単にそうなのか、スゴイなと思った程度でしたが、なぜか名前だけは記憶に残りました。 皆さん、ご存じのように、小沢は1935年中国で生まれ、桐朋学園短期大学を出て、1959年単身でフランスへ行き、マルセイユに着くとスクータに乗ってパリへと向かいます。 当時は、勿論のこと現地では日本人が珍しかった筈です。 ノボも1997年マルセイユに行ったことがありますが、風光明媚な都市であり港でした。 1959年当時は、ヨーロッパの玄関口だったと思います。

 

 小沢がパリに着くと、すでに渡仏していた江戸京子に出会います。 彼女も桐朋学園出身で、パリ国立高等音楽院に在籍していたのです。 二人の間にどんなロマンスが生まれたのか知りませんが、その年、ブザンソンで指揮者コンクールがあるとのことで、小沢もエントリーし、何と第一位に輝くのです。 スクータを無償で調達し、貨物船で渡航した、決して裕福でなかった小沢の輝かしい人生の始まりです。 ノボは、このことを後日、小沢の著書で知りました。 つづく。 (令和6年2月22日)