ノボの生き活きトーク 683号: 小沢征爾と江戸京子への感慨(その2) | 生き活きノボのブログ

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小沢がブザンソンのコンクールで第一位になったのが1959年、ノボが音楽の先生から小沢の存在を教えられたのは1963年ですから、4年後になります。ノボは、どういう訳か、その後クラシック音楽のファンになりましたが、勿論なかなかクラシック音楽聞けません。ビートルズやロックグループ、フォークなどの音楽はよく流れていましたが。ただ、小沢がフランスから米国に移ったということは、何かのニュースで知っていました。そうしてノボも名古屋の大学に通い始め、オーケストラ部に入ると、途端に小沢に関するいろいろな情報に接することになります。サンフランシスコ交響楽団の指揮者になったとか、その後あのボストン交響楽団の指揮者、音楽監督になって、世界的な活躍をしているとか。その後、小沢の著書を読むと、カラヤンの指揮者コンクールでも第一位になり、またボストン近郊のタングルウッド音楽祭では、シャルル・ミュンシュに教えを受け、師事したとか。ミュンシュはフランス物の音楽が特に定評があり、ベルリオーズの交響曲『幻想』の演奏は有名でした。実は、ノボもオケでこの曲を演奏しましたが、おかげで何度もミュンシュの演奏を聞く羽目になりました。

オーケストラの運営は、財政的にどこも厳しいようで、日本フィル交響楽団も1972年、解体されます。旧来の日本フィルと新日本フィルの二つに分かれ、小沢は新日フィルの指揮者となります。この頃、小沢は、サイトウ・キネン・フェスティバル松本を開催するようになったそうですが、ノボは当時そのことを知りませんでした。ノボは社会人となって、埼玉や鳥取、茨城で勤務しましたが、小沢の情報は入手していても、その生演奏は聴いたことがありませんでした。ところが、1987年に結婚し、居を那珂市に構えてから、事情が変わりました。丁度その頃、水戸市市政100周年を記念して、水戸幻術感が五軒町に創設されることになりました。これは五軒小学校の敷地跡に設置されましたが、工事期間中敷地が塀で囲まれました。水戸市は粋な計らいをして、その塀に楽しい絵を描くよう市民に募集したのです。水戸市在住のF先輩家族が応募し当たったのです。その絵描きにはノボ夫婦も動員され、楽しい時間を持ちました。その水戸芸術館は、1990年(平成2年)に開館したのです。

ノボは、水戸芸術館の内容を知って、驚きました。館長が、何と、あの吉田秀和です。学生時代に吉田秀和の全集の一部を読んでおり、もう昔の人で、亡くなっているものと思っていました。ところが、健在で館長になったのですから、ノボは大歓迎でした。そして、芸術館にはATMホールが設けられ、水戸室内管弦楽団(MCO)が結成され、指揮者兼音楽監督として、小沢が就任しました。小沢は斎藤英雄の弟子であり、吉田秀和と斎藤英雄は、戦後の桐朋学園で繋がっていましたから、当然の事、吉田秀和が小沢を引き寄せたものと思います。 つづく (令和6年2月23日)