我が母校が、80周年を迎えました。
 
その80周年記念学校公演!
 
懐かしい校舎と校長先生と記念撮影。
 

生徒さんにたくさん笑っていただけました!
 
校舎や校庭、体育館を歩くと、その頃の思い出が甦ってきます。
 
そして、母校に行くと思います。
 
「あの頃の純情はどこに行ったのか!」と、我が身に問う昼下がりでした(笑)。
 
【たけ平今日の一曲】
〜二葉あき子「純情の丘」〜
 
母校誕生の4年前に出た作品です。
 
昭和14年の作品。
 
二葉さんの戦前のヒット曲といえば、同年「古き花園」。
 
二葉さん独特の高音が楽しめる一曲です。
 
だいたい、二葉さんの歌は歌うのが難しい。
 
音痴の私が言うのも説得力に欠けますが(笑)、なかなか難しいと思います。
 
中でも、ああ、この歌、難しいなあ、と、思ったのが、今日の一曲です。
 
キーの上げ下げが半端ないです。
 
しかし、個人的には、二葉さんの歌の中で好きな作品の上位に入る一曲!
 
リズミカルな感じの中の哀愁。
 
流行歌だなあ、と、思う一曲です。
醤油の団子が美味しい!!
 
外はカリカリ、中はモチモチ。
 
注文してから焼いてくれる越谷の「虹だんご」さん。
 
大相模不動尊境内に発した支店でいただきました。
 
餅大好き男の私には最高のお店です!!

 
何本でもいけちゃいますが、そこは、大人、1本に自制しました(笑)。
 
今度は、素焼のを食べてみたいです。
 
【たけ平今日の一曲】
〜中村晃子「虹色の湖」〜
 
お店の名前は、童謡から取ったそうです。
 
夢のような色が、「虹」なので、夢を売る「虹だんご」になったようです。
 
さて、虹色といえば、今日の一曲。
 
昭和42年の作品です。
 
当時の音楽界は、若者のGSブームで席巻。
 
そこで、歌謡曲の世界も「GS風が売れる」という路線になっていきます。
 
「東芝の黛、キングの中村」。
 
このお二人に、GS風の歌唱、白羽の矢がたちます。
 
今日の一曲が流行って、中村晃子さんは「1人GS」と呼ばれるようになりました。
 
まさに、時に乗った大成功者です。
9月半ばから、一昨日あたりまで、
敬老落語会のラッシュでした。
 
そんな中、エネルギーみなぎる
楽屋のお弁当がありました!
 
もちろん、鰻です!!
 

 
控室の担当のお姉様方が、何人かいらっしゃって、そのお姉様方が、「さあ、どうぞ、お食べください」と、皆さんが見ている前で鰻をいただく、その気持ちたるや・・・(笑)。
 
ごちそうさまでした〜!
 
各地、敬老落語会の担当、お手伝いの皆様、お気遣いいただきありがとうございました!
 
【たけ平今日の一曲】
〜林伊佐緒「麗人草の歌」〜
 
各地、敬老会というのは、昔から多いです。
 
ただ、規模や予算等により、催し物は変化していきます。
 
町内会ごとの敬老会だと、演芸がメインでしょう。
 
これが、区や市で合同に行う敬老会だと、音ものが増えていきます。
 
子どもの頃、祖父母のお供で区主催の敬老会に行ったことがあります。
 
定かではありませんが、平成元年か2年です。
 
まだ、世の中、ちょいと、ブイブイいわせていた名残が世間にあって、日本が元気だった頃だと思います。
 
その敬老会の催し物で、初めて「生・林伊佐緒」を見ました!(笑)。
 
平成の初めは、まだ明治・大正生まれの歌手の方に現役の方も多かった時代です。
 
例えば、藤山一郎さん、明治生まれでしたが、平成初めはまだ紅白歌合戦に出場したり、バリバリでした。
 
他にも、淡谷のり子、松島詩子、並木路子、ディック・ミネ、二葉あき子、菊池章子、市丸、岡本敦郎、織井茂子、田端義夫、塩まさる、榎本美佐江、小笠原美都子、三条町子等、お歴々、重鎮の超ベテランの歌手の皆さんがステージに立っておられました。
 
そして、私が懐メロの方で初めて生で見たのが、林伊佐緒さんでした。
 
明治45年、つまり、大正元年のお生まれで、平成7年に亡くなりました。
 
戦前から活躍した大歌手を初めて見て、ものすごく感激した!!!
 
と、あまりならなかったのが正直なところです。
 
まだこの頃、もちろん、懐メロは大好きだったのですが、林伊佐緒さんをまだわからない小学生でした(←当たり前といえば当たり前(笑))。
 
歌も何を覚えたかハッキリ覚えていません。
 
ちゃんと覚えているのは、2つ。
 
林さんがステージに登場したときの、敬老会のお年寄りの皆様の大歓声!
 
平成元年当時のお年寄りにとって、林さんは思いっきりドストライクで青春の大スターなわけです。
 
お年寄りってこんな元気なのか・・・、と、子供心に思ったのを覚えています。
 
そして、もう1つ覚えているのは、林さんがステージで、「私は珈琲が好きなんですよ」といった発言。
 
ただ、それだけ(笑)。
 
あとは、全く覚えてません。
 
当然、林さんお得意の「ダンスパーティーの夜」(昭25)も歌唱されたことでしょう。
 
そして、今日の一曲も林さんのヒット曲の1つ。
 
絶対、歌っておられたでしょう。
 
全く、記憶がないのが悔しくて悔しくて・・・。
 
昭和24年の作品。
 
水谷八重子さん主演で映画化された、竹田敏彦さんの作品の主題歌だったと思います。
 
「林伊佐緒オンステージ」、今あったら、かなりの額出しても観に行きます(笑)。
9月下席は、浅草演芸ホールの昼席に出演しています。
 
昼の部のトリは、林家木久蔵師匠です。
 
他にも木久扇師匠、小朝師匠、私の師匠・正蔵等、豪華メンバーでお送りしています!
 
楽屋にて一枚。
 
寄席の楽屋では、未だにピンクのダイヤル式の電話が大活躍中です!
 

ご来場お待ちしています。
 
【たけ平今日の一曲】
〜日本橋きみ栄「蛇の目のかげで」〜
 
昨日、横浜にぎわい座にて、寄席囃子の実演の会がありました。
 
その流れで、今日の一曲です。
 
昭和12年の作品。
 
何を隠そう、私、林家たけ平の出囃子です!
 
昨日、楽屋で木久扇師匠が、「たけ平さんって、『蛇の目のかげで』が出囃子なの?」と聞かれました。
 
驚きました〜!
 
この歌を一発で当てるところ、さすが、歌謡曲が大好きな木久扇師匠!
 
ヒット曲ですが、昨今、知らない方のほうが多い歌です。
 
歌唱された、日本橋きみ栄さんは、後年、寄席の高座にも上がっていたので、全く無関連の歌より、少しでも寄席の匂いがするものと思い、この曲を出囃子にしました。
 
きみ栄さんは、この歌の前年、「浮名くづし」がヒットしています。
 
そして戦後は、「炭坑節」や「ソーラン節」等、民謡のヒットがありました。
 
木久扇師匠曰く、「三橋(美智也)さんが、よく歌ってましたよ、この歌」と教えてくれました。

昨日は、横浜にぎわい座に出演しました。

 

「寄席囃子で聴く昭和歌謡」の会でした。

 

解説と太鼓は、私がやりました。

 

お囃子は、柳澤きょう師匠。

 

 
前座は、林家ぽん平さんです。
 

 
最後に落語も一席!
 

 

三味線で様々な昭和歌謡を聴いていただくのも味わいがあって面白かったです。

 

今回は、「東京ラプソディ」から「ギザギザハートの子守唄」までお送りしました。

 

尚、日本史研究家の刑部芳則先生との歌謡対談YouTubeチャンネル「刑部たけ平の昭和の歌声」でも寄席囃子で昭和歌謡を聴く企画をやっています。

 

こちらも併せて聴いていただけたらと思います。

 

【たけ平今日の一曲】

〜北島三郎「函館の女」〜

 

様々な楽曲をきょう師匠には弾いていただきましたが、今日の一曲は珍しいです(笑)。

 

寄席囃子で使用されている方は今も昔もおりませんので、お手数をおかけしました。

 

昭和40年の作品。

 

作詞家の星野哲郎さん、最後の歌詞が足りない。

 

これでは、メロディーに合わない。

 

もう1センテンス欲しいところ。

 

何かないかな、と、思案していたときに、トイレに行きたくなりました。

 

それが、もう1センテンス、歌詞を生むことなります。

 

その歌詞が、「♪とても我慢が出来なかったよ〜」です(笑)。

 

嘘のようなホントの話・・・。

 

ちなみにこの歌がヒットした昭和40年は、東海林太郎さんが、紫綬褒章を受賞されました。

 

歌手として初めての受賞は、東海林太郎さんでした。