5月上席は、上野鈴本演芸場と浅草演芸ホールに出演しています。

上野鈴本演芸場。

林家ペー先生と。


トリは、私の師匠、林家正蔵です。



こちらは、浅草演芸ホールの楽屋です。


トリは御存知、林家木久扇師匠。

各所、ゴールデンウィーク、寄席でお楽しみくださいませ。

【お知らせ】
7月29日「林家たけ平独演会」ご来場お待ちしています。

御予約、お待ちしています〜。

【たけ平今日の一曲】
〜石川さゆり「津軽海峡・冬景色」〜

林家ペー先生が、今日の一曲の替え歌の新曲???を歌っております(笑)。

替え歌の新曲という、もはや、元があるのか否か・・・(笑)。

昭和52年の作品。

なかなかヒットが出なかった石川さゆりさんに、次の曲を選ぶべく、季節と女心を合わせたアルバムを発売しました。

その中の一曲が、今日の一曲でした。

考えてみると、歌謡曲の分野において、アルバムからシングル・カットされて、ヒットするというのは、かなり珍しいケースではないかな、と、思います。

令和の時代でも、若人の心を掴んでやまない名曲として、後世にも残っています。
昨日は、横浜の朝日カルチャーにて、昭和歌謡「歌で巡る西日本」の講師をつとめました。

なんやら、機材が置いてありますが、私は分かりません(笑)。

係の方がやってくださいました。

私は相変わらずのお喋りで聴いていただきました〜。

ご受講あリがとうございます!

次回は、10月に「歌で巡る東日本」でお逢いしたいと思います〜。

【たけ平今日の一曲】
〜渚ゆう子「京都慕情」〜

昭和45年の作品です。

世の中は、大阪万博で湧きに湧いておりました。

その中で、「京都ブーム」が到来しました。

そして、流行ったのが、今日の一曲です。

同年「京都の恋」もヒットしています。

ベンチャーズが作った、というところもまた、話題の1つになります。

紅白歌合戦初出場曲。

「女ひとり」(昭40/歌唱・デュークエイセス)は、時代はちょっと古いとして、今日の一曲前後ですと、「なのにあなたは京都へゆくの」(昭46/歌唱・チェリッシュ)、「京都から博多まで」(昭47/歌唱・藤圭子)、「京のにわか雨」(昭47/歌唱・小柳ルミ子)など、立て続けに、京都を舞台にした歌が発表されました。


ふと、立ち食いそばが食べたくなる時があります。

今は、立ち食いそば屋さんでも椅子があるところも多いですが、私はあえて座りません。

意地でも立ち食いそばの雰囲気を味わいたいので・・・(笑)。

好きなチェーン店の1つが「ゆで太郎」さん。

「ほぼ海老のかき揚げ」の表看板を見て、思わず入店。

プリプリの海老を充分に味わえて、ひとときの幸せを噛み締めました〜。

ごちそうさまでした〜。

【たけ平今日の一曲】
〜鈴木三重子「愛ちゃんはお嫁に」〜

「ゆで太郎」と見て、「東海林太郎」、「♪愛ちゃんは太郎の嫁になる〜」なんてワードが浮かぶところ、重度の昭和歌謡病のようです(笑)、私・・・。

とにかく「♪愛ちゃんは太郎の嫁になる〜」でお馴染みの今日の一曲は、大ヒットしました。

昭和31年の作品です。

ヒットしたので映画化されました。

そして、女の子は「愛子」という名前を付ける人が急増したのも、この歌のヒットがキッカケです。

そのあとも、鈴木三重子さん、「愛ちゃんの子守唄」(昭32)とか、「兄さは東京で嫁もろた」(昭31)等、関連曲を出しているところ、今日の一曲のヒットぶりが良く分かります。

ちなみに、ペギー葉山さんといえば「南国土佐を後にして」(昭34)。

この歌、実は、鈴木三重子さんも昭和30年頃、吹き込んでいるのですが、その時は、ヒットに繋がりませんでした。

さて、鈴木三重子さんが動いている映像を最初に観たのは、テレビ東京でした。

NHKでこの歌を放送したときは、鈴木三重子さんの写真が出ただけでした。

しかし、テレビ東京では、「動く鈴木三重子」を持っております!(笑)

いやぁ、当たり前の大ヒット曲なのに、鈴木三重子さんの歌唱映像、私は随分と後になってからでして、最初に観た時はビックリしました。

そして、鈴木三重子さんといえば「むすめ巡礼」(昭30)も流行っています。

この歌唱映像もテレビ東京にはございます!!

「むすめ巡礼」の歌唱映像を観たときの私の驚愕たる顔、みなさんに見てもらいたかったです〜(笑)。




先日は、恒例、横浜にぎわい座にて、「昭和歌謡と落語」の会が開催されました。

私が落語1席、そして、昭和歌謡は、有馬梨奈さん、あかりさんの歌、演奏は久保さんでお送りしました〜。


また、来月もお待ちしております!!

今月も沢山のご来場、あリがとうございました。

【たけ平今日の一曲】
〜田端義夫「玄海ブルース」〜

ここ何日間、1日で3カ所〜4か所の現場が続いていたので、流石に、「限界」ブルースでございます・・・(笑)。

休める時に休むのですが、体が休みモードになる前に、もう翌日の現場となり・・・。

きっちりと、オン・オフが出来るようにしていける体を作っていこうと思っています。

そんな我が身、お疲れの時は、好きな歌を聴くのが一番です。

心の底の底から、えぐってくれるのが、バタやんの歌声です。

といって、バタやんお馴染みのマドロスモノと言えども「別れ船」(昭15)のような歌ではなく、今日の一曲のような快活なメロディーで癒やされたいのです。

今日の一曲は、昭和24年の作品。

この歌を初めて知ったのは、平成元年放送「NHK昭和の歌ベスト200」です。

とはいえ、今日の一曲は、ベスト200には入っておらず、放送されていません。

実はこの番組内で、あなたの好きな昭和の歌ベスト10は何ですか?と、著名人に聞いているコーナーがありました。

登場されていたのが、作家の藤本義一さん。

その藤本さんがご自身のベスト10の中で選ばれておられたのが、今日の一曲。

知らなかった私は当時、テープを漁った記憶があります。

そして、一気に好きになりました。

やっぱりバタやんのマドロスモノは、明るさの中に、男の哀愁が見え隠れするところが、たまりません。

ゴールデンウイーク、皆様、バタやんの歌声、機会ございましたら、お聴きくださいませ〜。





先日は、年1回開催してくださいます、「厚木自宅寄席」。

二つ目になりたての頃、仕事が全くなかった時、「家でやったらどう?」と、近所の方を集めてくださって開催に至りました。

コロナを経て、今では「自宅寄席」なんて、珍しいと思います。

が、今も年1回、開催してくださっています。

私にとって、原点の1つです。

開催から、ぼちぼち、20年!!

世話人の方々と、20年のお付き合いになります。

もう、世話人の皆さんも80歳を超えられた方が多くなりました。

チラシ、受付、出囃子、お客様の誘導、会場設営、高座設営、挨拶、チケット作成、下足、送迎、配布などなど。

本当に私が二つ目として噺家スタート時から、ずっと、見てきてくれた、そして、支えてきてくださった、大切な皆さん。


ご自宅にて、今回も50人を超える、超満員御礼となりました。

ひとえに、スタッフの皆さん、お客様のおかげであります。

自身がどんな立場になりましても、絶対に伺いたい、感謝の気持ちと、そして、私の「初心貫徹」な場でございます。

来年も宜しくお願いします〜。

ありがとうございました!!

【たけ平今日の一曲】
〜「ラバウル小唄」〜

先日、フジテレビ「恐怖劇場アンバランス」を観ました。

昭和48年に放送されていた、ホラー、サスペンスを中心とした1時間ドラマです。

円谷プロ制作ということもあり、タイトルが「ウルトラQ」を彷彿させる、不気味さで、なんとも、夜中、一人で観るのは怖いです。

私は臆病なため、ホラーは一切観ません、本当に苦手です(笑)。

だから、この番組も基本、苦手なのですが、先日、松本清張さんの「地方紙を買う女」の放送回を観る機会があったので、これは観ました。

この番組の好きな部分、それは、まだまだ「昭和の日本」が映像として、観ることが出来るところです。

これは、私の勘違いかもしれませんが、「恐怖劇場アンバランス」って番組は、実は昭和48年放送よりも数年も前に撮り終えていて、放送予定でしたが、内容が内容ということで、一度、御蔵入りとなり、昭和48年、ようやく、深夜の時間帯で日の目を浴びた、と、聞いたことがあります。

それを知った上で、ドラマを観るとこれまた、面白いのです。

あっ、ちなみに、この番組は、各回単発ドラマ。

最初、ご案内役に青島幸男さんが登場し、その後、ドラマスタートとなります。

アンバランス版「地方紙を買う女」は、井川比佐志さんや、山本圭さんの若き日の演技を拝む事ができます。

夏圭子さんが主演ということもあるのでしょうか、個人的には、俳優座の中村美代子さんが、アパートの管理人役で出演しているのが嬉しいです。

バーのシーンがあります。
 
そのバーでサラリーマンが集まって、今日の一曲を高らかに歌っているのです!

昭和40年代、空前の軍歌ブームが到来していました。

ドラマから時代が見えるところが、実に興味深いです。

当時、懐メロブームだったこともあると思いますが、何よりも、現役サラリーマンにとって、若き青春が、哀しき戦時下だったということもあると思います。

昭和40年代、40代だったサラリーマンの皆さんです。

仲間、同僚が集まれば、宴席で手を叩きながら、軍歌を皆で合唱する光景が、そこかしこで見られたそうです。

様々な軍歌が宴席で歌われた中で、今日の一曲は特に、宴席で皆が大合唱になった歌の1つ。

今日の一曲は、昭和15年「南洋航路」(歌唱・新田八郎)が元になっています。

そして、太平洋戦争末期、昭和19年頃を最盛期として、歌われました。

戦後も多く歌われたこともあり、昭和40年代の軍歌ブームの時に、大合唱になった、いわゆるメジャー曲。

思えば、我が父親の部屋に、私が子供の頃、軍歌のテープがあったのを覚えています。

父親は戦争経験者ではありませんが、昭和40年代といえば、父親が新入社員の時代。

上司の方は、もちろん、皆、戦争経験者だった時代です。

接待の時に、若き我が父親は、軍歌を覚えて、酒宴で歌ったりしていたのでしょうか?

テープと共に、歌詞カードに色々メモ書きも見えました。

軍歌は、案外、昭和30年代生まれの方までも、なんとなく知っている楽曲というのは、こういう経緯が歴史の中にあったからだと思います。