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娘が生まれてから1か月まで

 

 

娘は帝王切開で生まれました。

妊娠週数25週4日でした。

 

 

体重485g

身長30㎝

頭囲21㎝

胸囲17㎝

 

 

ペットボトル一本にも満たない、

小さい小さい赤ちゃんでした。

 

 

妊娠25週4日の女児の平均体重は781gです。

それだけ娘はおなかの中で育っていなかったのです。

 

 

出産後すぐに未熟児室に運ばれ、保育器に入りました。

人工呼吸器挿管、点滴、心電図、経管栄養管が装着されました。

 

 

処置が終わると夫が呼ばれ、

「処置をすることはできました。

子どもにとって触ることはストレスになるので、

しばらくは様子をみます。

この3日間が山です。」

と言われました。

 

 

娘の担当医と小児科医長の2人は3日間泊まり込んでいました。

保育器の中の娘をただじっと見ていました。

無事3日間過ごすことができました。

 

※生まれて3日目の娘です

 

すぐに始まったのは、

貧血とくる病の治療でした。

 

 

特に貧血には気をつけていけないと言われました。

それは貧血により、

発熱、発疹、ショック、感染症を起こす可能性があり、

娘にとっては大変なことになるからです。

投薬だけでなく、輸血も行いました。

 

 

心室中隔欠損とそけいヘルニアもありました。

これは時期をみて手術の可能性があると言われました。

 

 

私は娘の体重増加が気になって仕方がありませんでした。

普通で生まれた子どもも、

一度は体重が減少します。

それは1週間程度です。

 

 

しかし娘は生れたときの体重に戻るまで、

3週間かかりました。

 

 

はじめのうちは肺に水がたまったり、

便秘になったりして、

その度に体重が大きく増減していました。

 

 

最低体重は400gになりました。

しかし医師からは、

「余計な水分が抜けているので、

呼吸が楽になっている。

体重は減っているが体調は良い。

このぐらいの子としては

とても順調です。」

と言われました。

 

 

生まれて一週間目、未熟児室の看護師さんが

娘の足型、手形をとってくれました。

それを見た助産師さんが、

「これがとれるぐらい、体調がいいんだね。」

と言っていました。

 

 

小さく生まれた子どもは胃腸に負担がかかるため、

母乳しか与えられません。

 

 

私は母乳が出ました。

しかし妊娠中毒症で降圧剤をずっと飲んでいたので、

私の母乳はしばらくあげることができませんでした。

この時期に出産した方から、母乳をもらいました。

 

 

はじめは1日に3cc×12回を与えていました。

 

 

1か月後には母乳では取れない栄養素を補うためミルクを追加し、

(母乳3cc+ミルク2.5cc)×12回となりました。

 

 

体重も1か月後には556gとなりました。

見た目もかなり大きくなっていました。

 

 

肌もはじめは粘膜のようでしたが、

徐々に皮膚が出来上がってくる感じがしました。

 

 

どんな時でも夫は娘の

呼吸の状態、

肌のつや、

子どもの動き

を見ていました。

 

 

自分が感じる、元気かどうかを確認していたのです。

「元気だから大丈夫。」

といつも言っていました。

この想いは娘にとってとても大切でした。

 

 

面会にはほぼ毎日行っていました。

娘の呼吸が止まると鳴るアラームの音は、

面会の度に鳴っていました。

看護師さんは特に驚く様子はありませんでしたが、

毎回私は全身が緊張し、ドキドキしていました。

 

 

つづく

 

 

娘が生まれてから1か月まで~私の出来事