吉田 貞雄(よしだ さだお・1878年―1964年)は、日本の寄生虫学者である。
彼は、福岡県鞍手郡金剛村(現・北九州市八幡西区金剛)に生まれる。福岡県立尋常中学修猷館、東京高等師範学校理科博物学部、中学教諭、兵役を経て、1906年に、東京帝国大学理科大学動物学科を卒業する。
修猷館在学中は、同期の廣田弘毅らと首席を争い、廣田が創ったグループ「致格会」にも加わって、天下を語り合った。
東京帝大在学中は、飯島魁教授の指導を受けている。
1909年に、広島高等師範学校講師、1914年に、大阪府立高等医学校教諭を経て、1915年10月に、府立大阪医科大学教授となって、予科で動物学、学部で寄生虫学を担当する。
1919年から1921年にかけて、欧米に視察留学して、1931年5月に、同大学が大阪帝国大学理科大学と改称されるとその教授となる。
1934年に、同大学に微生物病研究所寄生虫病学部を開設する。その後に、米国イリノイ州立大学優待員として招かれて、科学者団体「シグマ・サイ」(米国科学研究学会)会員に推薦される。
1939年に、定年退官した。条虫、肺吸虫、蛔虫、顎口虫の研究に従事して、蛔虫の肺循環の発見(1917年)で知られる。
1949年に、大阪大学医学博士 「イタチの食道腫瘍を形成する有棘顎口虫の研究」。
吉田 貞雄(1878年―1964年)は日本の寄生虫学者である。
人間の生き方について彼は語っている。
「夢のある者には希望がある。希望のある者には目標がある。目標のある者には計画がある。計画のある者には行動がある。行動のある者には実績がある。実績のある者には反省がある。反省のある者には進歩がある。進歩のある者には夢がある」