岡本太郎(1911年― 1996年)は日本の芸術家で、1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。
1940年(昭和15年)、ドイツのパリ侵攻をきっかけに、日本へ帰国する。帰国後に、パリに滞在中の《傷ましき腕》などを、二科展に出品して、受賞して、個展も開く。
1942年(昭和17年)に、大東亜戦争下の軍備増強のために、補充兵役に召集されて、大日本帝国陸軍兵として中国戦線へ出征する。
岡本は、最下級の陸軍二等兵扱いだったが、高年齢である30代という事もあって、厳しい兵役生活を送ったと著書で回想している。また、この頃に、上官の命令で師団長の肖像画を描いている。
1945年(昭和20年)に、日本の降伏によって太平洋戦争が終結する。岡本は、中国の長安で半年ほど俘虜生活を経たのちに帰国する。
佐世保から東京に到着するが、自宅と作品は、戦災で焼失していた。東京都世田谷区上野毛にアトリエを構えて、ふたたび制作に励む。
1947年(昭和22年)、岡本は新聞に、「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」という宣言を発表して、当時の日本美術界に挑戦状を叩きつけた。
岡本太郎(1911年― 1996年)は日本の芸術家で、1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。その間に、抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触した。
人間の生き方について彼は語っている。
「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ」