人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

作家 福元早夫のブログ

人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 ヘルマン・カール・ヘッセ1877年1962年)は、ドイツ生まれのスイス作家である。小説によって知られる20世紀前半の文学者で、南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。

 風景や蝶などの水彩画も描き、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。

 

 『少年の日の思い出』は、ヘルマン・ヘッセ1931年に発表した短編小説である。中学校1年生の国語教科書に掲載されていることで、日本での知名度は高い。

 

 この作品は、2008年以降は、「ヘルマン・ヘッセ昆虫展」として具現化されて、全国の30都市以上で展覧されている。

 さらには、軽井沢高原文庫で開催された際に、軽井沢演劇部によって、朗読劇にもなり、軽井沢のほかに、東京でも上演された。

 

 また、この昆虫展をきっかけに、ヘッセ自身が採集したチョウ(パルテベニヒカゲ)が、大阪府在住のコレクター所有の、チョウ類コレクションの中から発掘されて、大阪市立自然史博物館において、ヘッセ昆虫展に合わせて一般に公開された。

 

 ヘッセが1911年6月6日に、ミュンヘンの雑誌《青年》に発表した「クジャクヤママユ」が初稿だが、20年後の1931年に改稿して、題名をに変えて、ドイツ地方新聞に、1931年8月1日号に短編小説として掲載された。

 これ以外にも『蝶』、『蛾』、『小さな蛾』、『小さな蛾の話』などに改題の上で、発表されている。

 

「あらすじ」

 原文であるドイツ語には、単語で「蝶」と「蛾」を区別することがない。そのために、以降は「蛾」のことも「蝶」と著す。

 

 子供が寝静まるころ、「私」は蝶集めを始めたことを客に自慢する。客の申し出を受けて、「私」はワモンキシタバの標本を見せる。

 

 客は少年時代の思い出をそそられ、少年時代は熱心な収集家だったことを述べる。が、言葉と裏腹に思い出そのものが不愉快であるかのように標本の蓋を閉じる。客は非礼を詫びつつ、「自分で思い出を穢してしまった」ことを告白する。

 

「僕」 (客) は、仲間の影響で蝶集めを8・9歳のころに始め、1年後には夢中になっていた。その当時の熱情は今になっても感じられ、微妙な喜びと激しい欲望の入り混じった気持ちは、その後の人生の中でも数少ないものだった。

 

 両親は立派な標本箱を用意してくれなかったので、ボール紙の箱に保存していたが、立派な標本箱を持つ仲間に見せるのは気が引けた。

 そんなある日、「僕」は珍しいコムラサキを捕らえ、標本にした。この時ばかりは見せびらかしたくなり、中庭の向こうに住んでいる先生の息子エーミールに見せようと考えた。

 

 エーミールは「非の打ちどころがない」模範少年で、標本は美しく整えられ、破損したで復元する高等技術を持っていた。

「僕」はそんな彼を嘆賞しながらも、気味悪く、妬ましく、「悪徳」を持つ存在として憎んでいた。

 エーミールはコムラサキの希少性は認めたものの、展翅技術の甘さや脚の欠損を指摘し、「せいぜい20ペニヒ程度」と酷評したため、「僕」は二度と彼に獲物を見せる気を失った。

 

「僕」の熱情が絶頂期にあった2年後、エーミールが貴重なクジャクヤママユのを手に入れ、羽化させたという噂が立った。

 本の挿絵でしか出会ったことのないクジャクヤママユは、熱烈に欲しい蝶であった。エーミールが公開するのを待ちきれない「僕」は、一目見たさにエーミールを訪ねる。

 

 留守の部屋に忍び込み、展翅板の上に発見する。展翅板からはずし、大きな満足感に満たされて持ち出そうとした。

 部屋を出たのち、近づくメイドの足音に我に帰った「僕」は、思わず蝶をポケットにねじ込む。罪の意識にさいなまれ、引き返して元に戻そうとしたが、ポケットの中で潰れていることに気づき、泣かんばかりに絶望する。

 

 逃げ帰った「僕」は、母に告白する。母は僕の苦しみを察し、謝罪と弁償を提案する。エーミールに通じないと確信する「僕」は気乗りしなかったが、母に促されてエーミールを訪ねる。

 

 エーミールが必死の復元作業を試み、徒労に終わっていることを眼前にしながら、「僕」はありのままを告白する。

 エーミールは舌打ちし、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」と皮肉を呟く。

 

「僕」は弁償としておもちゃや標本をすべて譲ることを提案するが、エーミールは「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。 そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ」と冷淡に拒絶した。

 

 収集家のプライドを打ち砕かれた「僕」は、飛び掛かりたい衝動を押しとどめて途方に暮れながら軽蔑の視線に耐えた。

 一度起きたことは、償いのできないことを悟った「僕」を、母が構わずにおいたことが救いだった。「僕」は収集との決別を込めて、標本を1つ1つ、指で粉々に押し潰した。

 

 ヘルマン・カール・ヘッセ(1877年1962年)はドイツ生まれのスイス作家である。小説によって知られる20世紀前半の文学者で、南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。

 風景や蝶などの水彩画も描き、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。

 

 人間の生き方について彼は語っている。

「自分の道を進む人は、誰でも英雄です」