人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 坂本龍馬(1836―1867)は、幕末の志士である。ペリー来航を背景に、尊皇攘夷(じょうい)運動が高まる中で、多くの人士と交流して、攘夷論を超えた国際的視野に立つ日本の未来像を描いた。

 

 脱藩と帰藩を繰り返す中で、勝海舟の神戸海軍操練所開設に尽力して、若手浪人を集めて海軍創設と海上交易による株式会社設立の構想を持った。1865(慶応元)年には薩摩藩の援助の下で、長崎で亀山社中を設立した。

 

 対立関係にあった薩摩と長州の両藩を実利で結び、66年に薩長同盟が成立して、倒幕への大きな布石となる。

 社中は、土佐藩参政の後藤象二郎の尽力で、土佐藩づき商社であり海軍教育施設としての海援隊へと昇華した。

 

 倒幕後の新政府案を、後藤と構想したものがいわゆる「船中八策」と呼ばれて、後藤から土佐藩を通じて幕府に建白、67年に徳川慶喜をして大政奉還をせしめるに至った。

 

 その一月後に、日本の未来を見ぬまま凶刃に倒れた。暗殺犯については諸説ありいまだ謎を残す。

 

 1904(明治37)年の、日露戦争のときに、明治天皇の皇后美子(はるこ)(昭憲皇太后)の夢枕に坂本龍馬が立ち、皇国海軍の守護を告げたとされる新聞記事が世間をにぎわせた。

 

 龍馬の事跡はこれに先立つ1883年には、坂崎紫瀾著の伝記的小説『汗血千里駒』として一般人の知るところとなっていた。

 

 以後、龍馬の伝記、小説の類は連綿として出版され続ける。国会図書館収集の龍馬関係書籍は、検索システムによれば400件を超え、龍馬を登場させる映画、演劇、TV番組も枚挙にいとまがない。

 

 現代的龍馬像を作り上げたのは、歴史小説家司馬遼太郎氏の功績が大である。長編大作『竜馬がゆく』は、1962(昭和37)年から4年間にわたり産経新聞に連載されて、一大龍馬ブームを巻き起こした。68年には大河ドラマ(北大路欣也主演)となった。

 

 司馬氏は、龍馬関連の膨大な史料を読み込み、生身といっていい人間像を立ち上げた。土佐の商人郷士の家に生まれたことで培われた経済感覚、旧弊な身分制度にとらわれぬ自由闊達(かったつ)さ。

 

 幕末日本を縦横無尽に飛び回る行動力、情報収集力、人脈形成術の見事さ。藩、攘夷・佐幕といった国内的視野に終始せず、海外に目を向けた進取の姿勢。

 

 身分ではなく志の重視。さらには、海難事故の処理に見られる絶妙の危機管理など、司馬氏の人物描写によって生み出された新しい龍馬像は政治家、経営者などのリーダーシップの理想像とされ、歴史雑誌のみならず経済誌などにも他の戦国武将などと並び、たびたび取り上げられるようになった。

 

 2010年1月から放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」放送決定から、何度目かの龍馬ブームがおきている。人気俳優・歌手である福山雅治が龍馬を演じること、09年頃からの歴女、歴ドルブームなど歴史を愛好するムードともあいまって、老若男女問わず注目を集めている。

 

 09年末に行われたある調査会社による15歳~59歳までの2千人に対するモバイルリサーチでは、龍馬の知名度は99.4%に達し、「尊敬する」と答えた人も41.6%にのぼるなど、龍馬の国民的人気が証明された。

 

 全国には龍馬ファンクラブや研究会である「龍馬会」が120以上存在して、歴史愛好を超えた人々の交流の場となっている。
 なお、高知市桂浜に立つ龍馬像は、昭和3年に地元青年有志の尽力で建てられたものである。

 

 03年11月15日から、高知空港は愛称を、高知龍馬空港とした。背景には高知県の経済団体など有志が、郷土の英雄の名をリニューアルする空港に冠したいとして署名活動などを行い、県への働きかけがあった。日本では、人名を冠した初の空港となった。
 

 人間の生き方について彼は語っている。

「金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ」