川口 淳一郎(かわぐち じゅんいちろう・1955― )は、日本の工学者で、専門は、制御システム論・応用飛行力学である。学位は、工学博士(東京大学・1983年)。
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構シニアフェロー、宇宙科学研究所宇宙飛翔工学研究系教授。
宇宙科学研究所宇宙航行システム研究系教授、宇宙科学研究所宇宙航行システム研究系研究主幹、宇宙科学研究所深宇宙探査センターセンター長、独立行政法人宇宙航空研究開発機構シニアフェロー、内閣官房宇宙開発戦略本部事務局局長などを歴任した。
彼は、青森県弘前市出身で、宇宙工学者である。特に制御システム論や、応用飛行力学といった分野を専攻する。
アストロダイナミクス、軌道力学、姿勢・軌道制御、航法・軌道決定論、惑星探査ミッション解析、システム制御論などの研究に従事した。
宇宙科学研究所にて助手、助教授を経て教授に就任し、宇宙航行システム研究系の研究主幹や深宇宙探査センターのセンター長など要職を歴任。さらに、宇宙科学研究所を設置・運営する宇宙航空研究開発機構においては、シニアフェローを務めた。そのほか、内閣官房の宇宙開発戦略本部事務局にて局長を務めた。
彼は、青森県弘前市生まれて、1974年に青森県立弘前高等学校を卒業後、京都大学工学部機械工学科に進む。京都大学卒業後に、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻に進学した。
1983年に東京大学大学院工学系研究科博士課程修了後、文部省の宇宙科学研究所に助手として着任して、1988年の助教授就任を経て、2000年に教授に就任した。
その後、宇宙科学研究所は、文部省から文部科学省を経て、宇宙航空研究開発機構に移管された。
宇宙科学研究所 (ISAS/JAXA) においては、宇宙航行システム研究系の教授を務め、研究主幹にも就任した。
また、宇宙科学研究所の深宇宙探査センターにてセンター長も兼務した。
月・惑星探査プログラムグループ (JSPEC/JAXA) においては、月・惑星探査推進ディレクターを務めた。2011年8月、宇宙科学研究所を設置・運営する宇宙航空研究開発機構にて、シニアフェローとなった。
また、2012年から2014年にかけて、内閣官房の宇宙開発戦略本部事務局にて局長を務めた。そのほか、宇宙開発委員会の専門委員や、日本学術会議の連携委員などを務めた。
専門は工学、特に制御システム論や応用飛行力学といった分野の研究を手掛ける。宇宙科学研究所において「さきがけ」「すいせい」「ひてん」「GEOTAIL」「のぞみ」「はやぶさ」「IKAROS」などの科学衛星ミッションに携わり、「はやぶさ」ではプロジェクトマネージャを務めていた。
「のぞみ」ミッションにおいて、探査機の重量制限緩和の為に、二重月スイングバイと地球パワースイングバイを併用した軌道を提案し、また、主推進器の逆止弁の故障によって、パワースイングバイを行えなかった際の救出ミッションにおいて、二重地球スイングバイを考案している。
また、「はやぶさ」ミッションにおいては電気推進の特性を生かした「EDVEGA」と呼ばれる航法を考案した。
現在はソーラーセイルを用いた惑星探査に関する研究を行っており、「IKAROS」ミッションは川口研究室が中心となって実現した。
科学衛星ミッション以外にもロケット等の姿勢・誘導制御について研究を行っており、「M-3SIIロケット」「HIMES」「M-Vロケット」「SS-520ロケット」などに携わった。
2003年には、本人に因んで小惑星の一つに「川口淳」という名が与えられた。学術団体としては、日本航空宇宙学会、米国航空宇宙学会 (AIAA)、計測自動制御学会、システム制御情報学会、日本惑星科学会などに所属している。
2011年、政府の平成24年(2012年)度予算に関する閣議決定で、宇宙関連予算では利用に重点を置いた方針がとられたことについて、利用に徹する姿勢から新たな技術を拓くことは期待できず、(他国から)新たな技術開発やイノベーションが現れるのを待つだけに陥る危険があると訴え、日本が閉塞する大きな原因の一端であると述べた。
2015年に政府が策定した宇宙基本計画で出口戦略が強調された際も、川口は、出口戦略はセレンディピティという科学や技術の本質に逆行するもので、出口が見えるような短期的な視点で生産性を追うだけでは、革新的な技術は生まれないと指摘した。
彼が、宇宙工学分野を目指したきっかけは、「アポロ計画の月探査やバイキング探査機の火星探査の見事なミッションに感銘を受けたため」だと語っている。
趣味は「非常に遅くじっくり泳ぐこと」、信条は「どんなに足下を固めても、高いところに上らなければ水平線は見えて来ない」である。
人間の生き方について彼は語っている。
「高い塔を建ててみなければ、新たな水平線は見えてこない」