人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

  坂村真民(さかむら しんみん・1909年2006年)は、日本仏教詩人である。本名は昂(たかし)で、一遍の生き方に共感して、癒やしの詩人と言われる。

 

 彼は、熊本県荒尾市の出身で、熊本県立玉名中学校を経て、神宮皇學館卒業する。愛媛県砥部町に、「たんぽぽ堂」と称する居を構えて、毎朝1時に起床して、近くの重信川で、未明の中で、祈りをささげるのが日課であった。

 

 は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。特に、「念ずれば花ひらく」は、多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国に、さらに外国にまで建てられている。

 

 森信三が早くからその才覚を見抜き、後世まで残る逸材と評した。2006年 12月11日に、97歳で永眠した。

 

念ずれば花ひらく

 

念ずれば

花ひらく

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった

そうしてそのたび

わたしの花がふしぎと

ひとつひとつ

ひらいていった 


かなしみ

 

かなしみは

わたしたちを強くする根

 

かなしみは

わたしたちを支える幹

 

かなしみは

わたしたちを美しくする花

 

かなしみは

いつも枯らしてはならない

 

かなしみは

いつも湛えていなくてはならない

 

かなしみは

いつも噛みしめていなくてはならない

 

 


念根

 

念は根である

祈りの根がしっかりと

大地に深く広がり

力を持っておれば

花は おのずと大きく開き

念は必ず成就する

これは天地宇宙の

原理であり摂理である

お互い

念の根を

しっかりしたものにしてゆこう

 

 


つみかさね

 

一球一球のつみかさね

一打一打のつみかさね

一歩一歩のつみかさね

一座一座のつみかさね

一作一作のつみかさね

一念一念のつみかさね


つみかさねの上に

咲く花

つみかさねの果てに

熟する実


それは美しく尊く

真の光を放つ

ほころびないもの


わたしのなかには

生き続けている

 

一本の木


わたしのなかに

咲き続けている

一輪の花


わたしのなかに

燃え続けている

一筋の火


ものみなほろびゆくもののなかで

ほころびないものを求めてゆこう

人それぞれになにかがある筈だ

 


 

生きていく力

詩を作り続けてゆく力

痛みに耐えてゆく力

弱さに打ち勝ってゆく力

世のため人のためになる力

 

そういう力を授け頂くために

大宇宙の生命が

一番充実し躍動している

混沌未明の刻に座し

夜明けゆく天地の力を

吸飲摂取して祈る

 

ああ

わたしが切に乞い願うのは

観音妙智力

念彼観音力

自在の神力

迷える羊を救う

光明功徳の威神力

どうかこの力をお与えください
 


二度とない人生だから

 

二度とない人生だから

一輪の花にも

無限の愛をそそいでゆこう

一羽の鳥の声にも

無心の耳を

かたむけてゆこう


二度とない人生だから

一匹のこおろぎでも

ふみころさないように

こころしてゆこう

どんなにか

よろこぶだろう


二度とない人生だから

一ぺんでも多く

便りをしよう

返事は必ず

書くことにしよう


二度とない人生だから

まず一番身近な者たちに

できるだけのことをしよう

貧しいけれど

こころ豊かに接してゆこう


二度とない人生だから

つゆくさのつゆにも

めぐりあいのふしぎを思い

足をとどめてみつめてゆこう


二度とない人生だから

のぼる日しづむ日

まるい月かけてゆく月

四季それぞれの星々の光にふれて

わがこころをあらいきよめてゆこう


二度とない人生だから

戦争のない世の

実現に努力し

そういう詩を

一編でも多く

作ってゆこう

わたしが死んだら

あとをついでくれる

若い人たちのために

この大願を

書きつづけてゆこう

 

 坂村真民(さかむら しんみん・1909年2006年)は仏教詩人で、癒やしの詩人と言われ、解りやすい詩が多く、小学生から財界人にまで愛され、て「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼ぶ。

 

 人間の生き方について彼は語っている。

「あせるな いそぐな ぐらぐらするな 馬鹿にされようと 笑われようと 自分の道を まっすぐゆこう 時間をかけて みがいてゆこう」