人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 レイチェル・ルイーズ・カーソン1907年― 1964年)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州に生まれで、1960年代環境問題を告発した生物学者である。アメリカ内務省の、魚類野生生物局の水産生物学者として、自然科学を研究した。

 

 農薬として使う化学物質の、危険性を取り上げた著書『沈黙の春』は、アメリカにおいて、半年間で50万部も売り上げ、後のアースディや、1972年の国連人間環境会議のきっかけとなって、人類史上において、環境問題そのものに人々の目を向けさせ、環境保護運動の始まりとなった。

 

 没後の1980年に、当時のアメリカ合衆国大統領であったジミー・カーターから、大統領自由勲章の授与を受けた。

 

 彼女は、幼少時には作家を志していて、高校の成績も極めて優秀であった。ペンシルベニア女子大学では、英文学を希望していたが、生物学の授業を受けたことで、生物学分野の科学者を志望するようになった。

 

 ジョンズ・ホプキンス大学修士課程で、遺伝学を学ぶ。当時、女性が一生働ける職業は少なく、特に理系の分野においては、看護師か教員しか就ける仕事がなかった。

 そのために、科学者という選択は非常に珍しいことであった。大学院でも、男子学生の中に紅一点という状況であった。

 

 修士課程修了後は、アメリカ連邦漁業局に勤務した。1941年『潮風の下で』、1951年『海辺』、1962年『沈黙の春』などの作品を発表した。

 

 当時はまだ顕在化していなかった、州当局によるDDTなどの、合成化学物質の散布の蓄積が、環境悪化を招くことなどの啓蒙活動に取り組んだ。

 

 特に『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書として、これを読んだケネディ大統領が強く関心を示して、大統領諮問機関に調査を命じた。

 

 これを受けてアメリカ委員会は、1963年に、農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追及した。

 DDTの使用は、以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動が広がった。尚、カーソンの死後の研究では、「DDTの危険性」には疑問の余地もあるという意見もある。

 

 レイチェル・ルイーズ・カーソン(1907年1964年)は、1960年代にアメリカの環境問題を告発した生物学者で、農薬の危険性を取り上げた著書である『沈黙の春』は、環境問題に人々の目を向けさせた。

 

 人間の生き方について彼女は語っている。

「春が来ても、鳥たちは姿を消し、鳴き声も聞こえない。春だというのに自然は沈黙している」