人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 礼記(らいき)は、中国の儒教経典の名で、戦国時代から前初期までの、学関係の文献46種をまとめたもので、49篇(へん)からなっている。「」は、経に対する補足注釈である。

 

 その編纂(へんさん)について、伝統的には、劉向(りゅうきょう)が整理した『礼記(れいのき)』131篇・『明堂陰陽』33篇などの一群の文献から、後漢(ごかん)の戴徳(たいとく)が85篇、戴聖が49篇を選び出したもので、前者が『大戴礼記(だたいらいき)』、後者が『小戴礼記(しょうたいらいき)』(すなわち『礼記』)であるといわれる。

 

 戴徳・戴聖に結び付けるのは、後漢の鄭玄(じょうげん)の説であるが、疑わしい点もある。いずれにせよ、『礼記』の権威が確立したのは、鄭玄が、それを『周礼(しゅらい)』『儀礼(ぎらい)』とあわせて「三礼」として注をつけたためである。

 

 南北朝時代には、多くの義疏(ぎそ)がつくられたうえ、唐に至って、鄭玄注『礼記』に基づき、孔穎達(くようだつ)が著した『礼記正義』は、『五経正義』の一つとされた。

 

 『礼記』に含まれる諸篇のうち、「大学」「中」は、南宋(なんそう)の朱熹(しゅき)(朱子)によって「四書」に加えられて、朱子学の根本経典となった。

 

 「王制」「礼運」は、清(しん)末に今文学(きんぶんがく)者に重視されるなど、思想史に大きな影響を与えた。『礼記』の内容は、礼理論、国家制度から、日常生活の細かな規定まで、雑多であり、鄭玄は、劉向の説によって、「通論」「制度」「明堂陰陽記」「世子法」「祭祀(さいし)」「吉礼」「吉事」「楽記」に分けている。

 

 なお、清朝考証学者の手になる『礼記』の注釈としては、朱彬(ひん)の『礼記訓纂』、孫希旦(そんきたん)の『礼記集解』が知られる。

 

 礼記(らいき)は、中国の前漢時代の経書で、五経の一つであって、儀礼(ぎらい)の注釈および政治・学術・習俗など、礼制に関する戦国時代から秦・漢時代の説を集録したものである。

 今の「礼記」は、「大戴礼」を削って編集した「小戴礼」をさす。「大学」「中庸」はその一部である。

 

 人間の生き方について礼記は語っている。

 「天に私覆なく、地に私載なく、日月私照なし」