連載小説「黄金色の風景」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

連載小説

「黄金色の風景」

連載第十四回

 

(五)の3

 

 秋の田んぼの稲刈りがすんだあとである。文化の日は、小学校の運動会と決まっていた。そのころが、タニシの食べごろだった。昼食である。運動場の木陰に敷いたゴザに、タニシの煮しめが重箱に盛られている。うまそうである。祖父がいった。

 

「空はよか日和じゃ。走ったか、何番じゃったか。じゃっどん、怪我をせんように走れよ。あわてんでもよかで」

タケルの競技など、祖父はどうでもよかった。焼酎で顔を赤くして、タニシに箸をのばしつづけていた。祖母がいった。
「よかか、あぶないと思うたら、人に先をゆずってやれよ」

 

 祖父にとって運動会は、好物のタニシを食べながら焼酎をのむためにあるようなものだった。祖母とならんで、飼い犬のベルも、タケルの競技を見物にきていた。タニシに目を光らせて、そわそわしているのだった。愛犬も運動会には興味がなさそうだった。

 

 運動会は楽しみであったが、短距離走がタケルは苦手で、障害物競走や長距離走が得意だった。足が早いのは、遺伝だと思っていた。たしかに、親が早ければ子も早いのである。

 

 小学校の競技のなかに、親子競争があった。小学生が二人と、母親と父親の四人のリレー競技である。子たち二人が、低学年から先に走る。つぎに母親がバトンをとって、最後に父親がゴールをめざして全力疾走するのだった。

 

 親と子がよく似た走り方をする。早い家族もいる。そうでないのもいる。周囲がわいわい叫んで声援する。勢いがあまって、母親か父親が転んだりする。大笑いが校舎にこだまするのだった。

 

 父親が太平洋戦争で戦死して、母一人子一人の家族が何人かいた。かれらは父親を知らないから、笑うに笑えなかったかもしれない。家族リレーがあるから、運動会は嫌いだといっていた友だちが、何人かいたのである。

 

昼食はどこの家族も、運動場でゴザを敷いて、弁当を広げていた。母親と子が、幕の内に箸をのばしていた。鶏肉やカマボコや、ブリの魚やレンコンやゴボウの煮しめが見えた。ご馳走である。父親が戦死した家族だった。

 

それを目にしたタケルは、喉がぐっと鳴って、涙がでてきそうだった。だけどその友達は、運動会もパンとミルクの給食にすればいいのに、といったことがあった。