連載小説「風に咲く白い花」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

【連載小説】

風に咲く白い花

(連載第十八回)

                

 

(四)の3

 

 そのころ、祖父母たちのまとまった現金収入は、秋の米の収穫だった。米俵を農協へ供出して、一等米や二等米などと評価される。それにもとづいて、現金が渡されてくるのだった。そのお金を手に、祖母は一年に一度の、まとまった買い物をした。荷物を持ちはこぶためにタケルは連れられていった。

 

日豊本線は福岡県の北九州市から、大分県の中津市をはじめに大分市から佐伯市をへて、宮崎県の延岡市から宮崎市などの主要な都市を経由し、九州の東部を縦貫して列車がはしって行き、終着駅の鹿児島市までをむすぶ鉄道路線である。

 

鹿児島市は九州の南端部ちかくにあって、福岡市から南へおよそ二百八十キロメートルほど離れている。熊本市からだと南へ百八十キロメートルのところにある。薩摩半島の北東部と桜島の全体をふくんでいて、鹿児島湾をのぞんで市街地がひらけている。

 

宮崎を出発した日豊本線に乗って、加治木の駅から祖母と鹿児島市内へ行くのだった。蒸気機関車は錦江湾にそって、桜島山をながめながら一時間ちかく煙を吐いていく。西鹿児島駅で降りると、まず繊維問屋街へ行くのであった。

 

はじめは祖父の肌着類である。つぎに仕事着である。タケルの肌着はあとだった。祖母の買い物は最後だった。余裕があれば、祖父のよそ行きの衣服に手をのばしたりした。

 

「知らずば半値とことわざにある。値うちのわからない物は、およそ半値くらいと見当をつければ、だいたいは当たる。これは露天などで物を値切るときの要領で、どんな物でも、製造原価は半分の値段よりも、なお低いものなのよ」

 

 祖母はその持論を実践していった。布袋の財布は、手アカがついている。そのうえ年期がはいって黒光りしている。ヒモでぐるぐる巻きにするようになっている。その中味をちらつかせながら、自分が決めた値で買い取っていった。肌着のひとつを手にするのに、待ちくたびれるほど時間がかかった。

 

 昼食は食堂へ連れて行ってくれる。外食などめったにしたことがないからタケルはうれしい。注文は、素うどんである。うどんにカマボコが二きれとネギである。それでもおいしい。竹の子の皮に包んできたおにぎりを、祖母がひろげる。うどんとよく合う。腹がいっぱいになって、幸福な気持ちになる。

 

「おいしそうですね」と店の主人がいって、ショウガ漬けを出してくれた。おにぎりは塩漬けにした高菜の葉でまいてあるから、のり巻きのようにみえる。

 

 祖母が実践しているもうひとつの生きかたに,知らずば人に問えがあった。わからないことは進んで人にたずねて、覚えて自分のものにすることが大切だというのである。知ったふりをして恥をかくよりも、その時は恥ずかしくても、人にきくほうがいい、知らずにいるのがいちばん悪いというのだった。

 

 役場や郵便局や農協などへ足を運ぶのは、祖母の仕事だった。書類を手に出むいていく。何が書いてあるのかわからない。その場へいって、職員に読ませる。祖母は納得する。記入欄に代筆させる。印鑑をつかせた。勉学のためだといって、タケルはよく連れていかれた。

 

「頭を使え、どんなに使っても、頭はこわれはしない」

祖母は持ち前の大声でよくいったものである。

「時計の見方とお金の数え方さえ知っておれば、人にだまされることはない。学問で得た知識は、ほどほどでいい。知らずば問うのよ」