【連載小説】
風に咲く白い花
(連載第十回)
(二)の6
たずね人の番組の多くは、行方不明になった肉親や親戚や友人であった。戦友や知りあいであった。その関係を聞きながら、祖母と祖父は涙を流すこともあった。
ラジオはたずね人を繰り返しつづけた。聞いているだけで涙がでるような話が多くあって、祖父も祖母も声をだして泣くことがあった。
戦争が終わって、外地から日本に帰ってきたが、故郷に戻らない人がいた。終戦を知らずに徴兵されたまま、軍事機密でどこに送られたか分からない人がいた。探している人の切実な思いが、ラジオのスピーカーからひびいてきた。
「もしかすると、自分が知っている人かもしれない」
多くの人がラジオに耳をかたむけた。人物を特定する情報がかなりくわしく放送された。本人やその知人であれば、どこの誰のことを尋ねているかが分かるような内容であった。探している人の、必死な思いが伝えられたのである。
尋ね人の依頼の中には、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に所属する日系二世の、駐留軍人からのものもあったらしい。彼らも日本にいる親戚や知人や友人の、安否を確かめたかったのである。しかし、同じ日系二世でCIE局員のフランク・正三・馬場はこういった。
「アメリカの国籍を持つ者からの依頼には、対応すべきでない」
CIEとは民間情報教育局のことである。GHQの一部局であって、太平洋戦争で占領した日本の、文化面の情報収集と行政指導をおこなっていた。さらには教育制度の改革などを実施したのである。
フランク・正三・馬場は、連合国軍の最高司令官総司令部(GHQ)として日本へやってきて、民間情報教育局(CIE)のラジオ課の一員として働いた。一九四五年(昭和二十)の十二月から、日本放送協会(NHK)の戦後の放送番組の企画や、日本の民間放送の設立案に力をつくした人物である。
第二次世界大戦で、およそ三万三千人の日系二世たちがアメリカ軍に従軍したといわれる。そのほとんどは、本団と第百歩兵大隊と陸軍情報部の三部隊のいずれかに配属されたそうである。
田んぼには白いイネの花が咲いて、風に吹かれてざわざわと揺れうごいている。それを目にしながらあぜ道を歩いていると、とっくのむかしに過ぎて去ったはずのできごとが、いまになってよみがえってくる。その光景が、目の前の現実と重ねあわせになったりする。
他界した祖父や祖母が、いまも生きているのである。それが目のまえにあらわれて、語りかけてくるのだった。二人はタケルにとって両親であって、同時に祖父母であった。祖父は風に咲く白いイネの花を年ごとに育てながら、わが子として入籍したタケルの成長を楽しみつづけたのである。