連載小説「風に咲く白い花」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

【連載小説】

風に咲く白い花

(連載第九回)

                

(二)の5

 

空襲は軍需工業地帯が、激しい爆撃の対象になったのはいうまでもなかった。だが、焼夷弾によって都市そのものを壊滅させた。国民の生活を破壊して、日本人の戦意の喪失をねらった爆撃でもあった。

 

ラジオがたずね人をつづけた。戦争がおわっても、まだ外地の戦場にいて、復員していない残留日本兵と思われる尋ね人がいた。

 

アジア太平洋の各地に駐留した旧日本軍の将兵は、一九四五年八月の終戦によって、現地で武装解除して、除隊処分とされた。その後は日本政府の引き上げ船などで、帰国して復員したのである。

 

その一方で、さまざまな事情から、連合国軍の占領下におかれた日本には戻らずに、現地での残留や戦闘の継続を選んだ将兵が多数いた。その数は、一万人にのぼったといわれている。

 

ラジオではたずね人の番組がつづいていた。依頼人からの手紙を、アナウンサーは感情をこめずに読みあげていた。

 

戦争中からの習慣で、そのころはどこの家庭でも、ラジオはつけっぱなしの状態だった。だから多くの人が、尋ね人の放送を耳にしていたはずだった。祖父が語ってきかせた。

 

 一九四五年(昭和二十)三月の東京大空襲では、B二十九爆撃機百五十機が下町を中心に十九万個の焼夷弾を投下して、一夜でおよそ十万人が焼死した。空襲は全国のほとんどの中小の都市におよんだ。被害は焼失した家屋が百四十三万戸で、死者がおよそ二十万人に達した。負傷者は二十七万人におよんだのである。