連載小説 「スクーリング」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

連載小説・小説集「工場」から

スクーリング

 (連載第十回・最終回)

 

 スクーリングはいよいよ終わりにちかづいていた。ぼくはもうなにも聞いていない。マッちゃんは本格的な眠りにおちこんでしまったようだ。なりふりかまわず、圧延理論のテキストのうえに頭をなげだしている。講師から真正面の位置だけど、前の席に肩幅のでっかい田所のおっさんが座っているから見えないはずだ。

 

 その田所のおっさんとならんでいる湯村のおっさんの、もはや後頭部まで禿げがおりてきている頭をいまさらのようにながめながら、思わず自分の頭に手をやった。親ゆずりの体質なんだろうけれど、てっぺんのあたりがかなりうすくなってきている。ヘルメットをかぶるからいけないのだ。勉強よりもこちらのほうが気にかかった。

 

 息子はぼくが日光浴をやめて、スクーリングへとこころがわりしたものだから、いまごろ久美にむかってだだをこねているかもしれない。久美のやつ、ぼくを悪者にしてなだめすかすのに四苦八苦しているにちがいない。

 息子をぼくたちは二人がかりで、おまけに三交替でそだてなくてはならない。夜勤のとき、昼間ぼくが寝ているものだから、家事が思うようにできないといって久美はぼやく。邪魔にならないよう気づかって、息子をつれて外へあそびに行かなくてはならない。もう行くところがなくなったぼくをせめる。

 

 ぼくは息子を、昼間、夕方、夜と、勤務の都合に合わせてまちまちな風呂のいれかたをする。息子も三交替をさせられているわけだ。風呂の中でぼくは、きまって歌をうたう。うさぎ追いしにはじまって、ふるさとをうたった数々の歌をうたいつづけ、息子を洗っているうちに額を汗がながれる。するとこんどは、仕事の歌だ。

 ぼくの額の汗が、膝にだいた息子の顔におちる。工場で仕事をしているときのあの汗だ。十八―八・クロームニッケル鋼の場合、炉は千百二十度でブタンガスが燃えさかる。真冬でも汗をかく。それと同じぼくの汗が、息子のあかいほっぺではじける。

 

 そろそろマッちゃんを起こさなければならない。あと数分でスクーリングは終わりだった。スクーリングが終わると、ぼくらは現場詰所に集合しなくてはならない。仕事前のミーティングなのだ。作業長のハッパがまっている。きょうもまた、生産性向上の号令がかかるにちがいない。それから最後に、みなさんきょうもいちにち御安全に、と声をあわせてから、持ち場の現場へと散っていくのだ。

 

 室内がざわついた。どうやら講義が終わったようだ。ぼくはマッちゃんの背中をたたいた。立ちあがってヘルメットをかぶり、顎ひもをきつくしめた。テキストを小脇にかかえ、出口をめざした。前にも後ろにも、おおぜいの仲間たちが、出口をめざしている。

 

 第五教室をでてしばらく工場の中を歩くと、製品の出荷場である。木箱に梱包されたステンレスが、高く積まれている。すへて頑丈に箱詰めにしてある。

 ロスアンゼルス、ニューヨーク、カナダ、ロンドン、パリ、ロッテルダム、コペンハーゲン、ぼくは向け先を読んでいった。

 安全通路を歩くぼくらの肩よりさらに高く、製品が積み上げられている。足もとが暗い。なんだかおびただしい棺桶の山のなかを、歩きつづけているような気分だった。