連載小説・小説集「工場」から
スクーリング
(連載第九回)
ぼくらの仕事は熱処理酸洗ラインの出側、つまり仕上がった製品の検査と巻き取りが主である。圧延されたステンレス鋼はそのままではひじょうに硬く、流し台やフライパンなどの製品に加工することはできない。熱処理をほどこして、やわらかくしなければならないのだ。
さまざまな厚みに圧延された十五トンちかい、人の背たけほどのでっかいステンレスの帯鋼が、ラインの入側のほうで巻きもどされ、連続的に熱処理酸洗されてぼくらの前にあらわれる。
100メートルちかい長いラインを、一定のスピードで走りつづける。紙にちかいうすっぺらいやつから、三ミリのぶあついやつまで、向け先によって厚みがちがい、ラインスピードもことなる。帯鋼の幅はほとんどが一メートルだけど、七百ミリから千五百ミリまでとさまざまでひろい。
出側作業のぼくらのメンバーは、班長の湯村のおっさんをラインリーダーに、マッちゃん、ぼく、中馬場、花牟礼の五人である。ラインのセンター、つまり焼鈍炉につづく塩浴槽や、硫酸槽、硝酸と弗酸の混液槽、硝酸槽とつづく各洗浄槽のメーターの監視作業に田所のおっさんがいる。、それから帯鋼を巻きもどして溶接してから、連続して送りこむ入側作業に磯村のおっさんと新村だ。
連続操業だから食事も休憩も、ひとりひとり交替でとらなくてはならない。始業時間になって間もなく休憩の三十分がまわってきたり、逆に終業のまぢかにやってきたりする。ぼくがその交替要員として、長いラインをぐるっとひとまわりすることになるわけだ。
摂氏九〇〇度で焼鈍され、表面の酸化被膜を酸洗された〇、三ミリのうすい十八クローム鋼が、一分間に三十五メートルのスピードで突っ走ってくる。きのうの場合だ。花牟礼が上の検査台にすわって製品の品質を記録している。下にもぐっていって、大きな鏡に写した裏の面を中馬場がにらんで記録している。
マッちゃんはオペレーターデスクにむかって三十個ちかいメーターの監視をしている。ぼくは花牟礼とむかいあって、猛スピードで突っ走っていく製品の品質をながめていた。なにか異常が生じたら、すぐさま手をうたなければならないからだ。班長はラインの巡回だった。
ルーヒングタワーのむこうの、水洗槽の出口のドライヤーブロアーの音がひじょうにうるさい。いくつものロールに巻きついたステンレスの帯鋼はぼくらの目の前を走りつづけ、最後にテンションリールに巻き込まれてもとのとおり巨大なコイルになっていく。
「……明日、スクーリングに行くんか」後方からマッちゃんがいった。
「わからん……」その方を見ずにぼく。
「歯牟礼は……」ちかづいてきてマッちゃん。
「自主参加やから、他人のことは気にせんでもええで」とぼく。
「……そこがつらいところや、なあマッちゃん」と花牟礼。
「行かなあかんで、自分のためやで」洞穴のような下からこちらを見上げて中馬場。仕事前のミーティングのときの作業長の口調をまねた。おまけにドングリ目をむいてみせた。
帯鋼と帯鋼のつぎ目がどうやらルーピングタワーにはいってきたようだ。マッちゃんはオペレーターデスクにひきかえし、出側だけを止めた。構えていた花牟礼がマイクロメーターで製品の厚みを測り、巻尺で幅をよんで記録した。マッちゃんが昇速ボタンスイッチをおしてふたたび帯鋼が猛スピードで走りはじめた。
スポットウェルダーで溶接した鋼帯の継ぎ目が、最後のルーパーロールをとおってブライドルロールにのみこまれた。いよいよこちらにむかって突っ走ってくる。マッちゃんがブレーキのタッチロールをおろした。エアーシリンダーが鋭い叫びをあげる。
きたっ、とぼくはこころの中で叫んでマッちゃんに手合図した。マッちゃんは降速運転にし、巻き取りのコイルリフトを上げ、EPCを自動から手動にきりかえた。
シァーの刃のわずか手前で、「よしっ」と叫んでぼくは右手をふりおろした。マッちゃんが非常停止ボタンを押して、鋼帯がストップした。安全第一、呼称確認だ。
「ええか」とぼく。運転操作のひとつひとつを確認してから、「よっしゃあ」とマッちゃん。ぼくはシャーのスイッチボタンをおして鋼帯を切断した。後端の硬度試験材を採るために三十センチばかり送りだして、つづいて溶接した部分を送りだしてまた切断し、それから先端の硬度試験材を切断してとってから、「よっしゃあ」とマッちゃんにいった。
マッちゃんはテンションリールに巻いたコイルをぬきだして、ベルトラッパーを作動させながら、つぎの鋼帯の先端をリールにおくった。センタースピードは一定だから、ルーピングタワーにどんどん鋼帯がたまる。すこしのミスもゆるされない。
ベルトラッパーが鋼帯の先端と間紙とを同時に噛みこんで、ぐるっとリールをひとまきしてからマッちゃんは張力をかけた。それからのろのろ運転でしばらく走り、ベルトラッパーをもとへもどした。巻き取りと巻き付け作業がすべて完了した。マッちゃんが昇速ボタンスイッチをおすと、鋼帯はモーターや減速機の轟音においたてられて、ふたたび猛スピードで突っ走りはじめた。
ステンレスは大切に取りあつかわれる。間紙といって、製品と同じ幅と長さの紙がはさみこまれる。キズをつけないためである。ぼくは紙にまかれて巻き取った鋼帯に、コイル番号と製品寸法と日付を記入し、それから採取した硬度試験材にも同じように記入した。
マッちゃんは操業日誌を記録しはじめ、ぼくは笛を吹いてクレーンを呼んで、コイルを天井ちかく吊り上げて製品置場へはこんでいく。
「スクーリングに行かなあかんかのう……」
マッちゃんがいった。一段落してしばらくすると、ぼくらはまたもとの位置にたっていた。製品のながれとメーター類の監視である。
「……教育課長がゆうとったやろう」と花牟礼。「カンやコツに頼っていた時代はもうとっくに去った。これからは新規設備の導入、製品の多様化、管理技術の高度化がすすみ、生産活動に必要な技術の内容そのものが複雑化するとともに、より働きがいのある職場づくりをめざして、個々の職務内容そのものの充実をはからなければなりません、てなことを」
花牟礼は初球コースのテストにでた教育制度の趣旨を、いまだに丸暗記しているのだった。
「そんなことあるかい」とマッちゃん。「そらあ、勉強も大事かもしれんが、現場の仕事はそういうわけにはいかんのや」
「こうした傾向は今後ともはやい勢いで進展いくものと考えられます」マッちゃんを無視して丸暗記をつづける花牟礼。
「したがって、業務を遂行するうえ必要な知識や技術の内容はますます豊富なものになり、社員個々人が、みずからの能力開発を積極的に行ってことの重要性は、従来にもまして一段とたかまってきております」
「そんなことない」とマッちゃん。むかい合ったぼくらの間をステンレス鋼帯がとめどなく走りつづける。それを指しながらぼくがいった。
「いうたって、わしらの仕事はこいつとのにらめっこや。溶接部がでてきたら、そこをシャーして、コイルに巻き取ってぬきだすだけや」
「そうや、まいにち同じことのくりかえしや」とマッちゃん。
「これらの状況の変化を総合的に考えますと……」となおも丸暗記をつづけようとする花牟礼。
「十年以上もおなじ仕事をやってるんや。いっこうも変化したらんがな」とぼく。
「みなさんがた社員個々人が……」といって中馬場。花牟礼の丸暗記のさきをぬすみとって、製品検査の穴倉からこちらを見上げてつづけた。「長期的な展望にたってみずからの能力開発の目標を明確に設定し、それを意欲的に達成していくことができるように、この教育制度はつくられているのです」
「あほんだら、なにをぬかすか……」とマッちゃん。若い花牟礼や中馬場にではなく、何か姿も形も見えないものにむかって言うようないいかたでマッちゃんが強く突っぱねた。
「……怒ったって、わしゃ知らんがな」と花牟礼。
「何やかや言うたって」とぼく。「わしらはみんな同じように、この機械に、このステンレスにこきつ使われているんや」
「そうや」とマッちゃん。「いま以上に、能力を開発してどないにせえというんや」
「知らんがなあ、ほんまに知らんがなあ」と中牟礼。
「文句があるんやったら、他所へ言うていきいな」と中馬場。
「……言うていくところがあれへんがな」とマッちゃん。わざとだろうけれど、頭をかかえこんで泣き顔をつくった。