連載小説 「スクーリング」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

連載小説・小説集「工場」から

スクーリング

 (連載第二回)

 

「さて、いよいよ、われわれの工場でつくられているステンレス鋼板に関する学習にはいるわけでありますが、その製造工程をおおざっぱに述べてみますと、電気炉の中に原料であるステンレス鋼のスクラップ、普通の鉄である炭素鋼のスクラップ、高炭素フェロクローム、それから副原料と、鋼種によって適量に配合し、それからを精錬と溶解をして、脱ガス装置を経過して鋼塊ができあがります」

 講師がいってひと呼吸おいた。マッちゃんがひとりごとをいった。

「……しんどいな、くそっ。ひと眠りしたろか」

「さて、その鋼塊は均熱炉で加熱され、分塊圧延機で加工されてスラブとなります。スラブはまた均熱炉で適正な温度で加熱されて、熱間圧延機によって、われわれの冷間圧延工場の素材であるところの、黒皮の熱間圧延鋼帯が生まれてくるわけであります」

 講師がいった。ふっとぼくは、息子のことが気にかかった。窓の外をながめていて、絶好の日光浴日和だと思ったからだ。

 

 久美のやつ、息子の日光浴とお風呂はぼくの仕事だと勝手にきめこんで、ほとんど手をかそうとしない。だからぼくは、きょうみたいな天気のいい日には、息子をまっ裸にして、ついでにぼくも上半身はだかになって、日光浴をさせるのだ。

 太陽とあそぼう、天の神さまにこんにちわしましょうといいながら、ぼくは息子を抱きあげ、アパートの前の広場にゴザをひろげて、いっしょに寝ころぶのだ。

 息子はきゃっきゃっとさけんではしゃぎながら、太陽のかがやきを手でつかもうとする。風に吹かれておどき、それからそれをあわてて、そよ風つかもうとする。講師がいった。

 

「それではステンレス鋼とは何かといったことに、簡単にふれてみたいと思います。いっぱんにステンレス鋼と呼ばれているものは、鉄に約十二パーセント以上のクロームを含有する合金鋼、また鉄に十六パーセント以上の、クロームとおよそ六パーセント以上のニッケルを含有する合金鋼をいいます。前者をクローム系のステンレス鋼といい、後者をクローム・ニッケル系のステンレス鋼と呼んでいるのであります」

「さて、さて……」

 マッちゃんがいい、頬杖をついた。

「……また眠るんか」とぼく。

「うんにゃ、ちょっとだけ、気持ちだけや」といいながらまぶたをとじたマッちゃん。講師がいった。

 

「ステンレス鋼はすぐれた耐銹性、耐食性、耐酸化性、耐熱性、それから良好な加工性、機械的強度などを持っていまして、現在さまざまな方面に広く使用されているのでありますが、その基本的な型をおぼえていただくために、ステンレス鋼を女性にたとえて説明してみたいと思います」

 講師がひと呼吸おいた。それから、つまり、と叫ぶような言い方をした。マッちゃんがびっくりして目をあけた。ぼくは口に手でフタをして小さくわらった。

「つまりその、ステンレス鋼に対してのイメージは、一般に白い肌をしており、しかも錆びることなく、永遠に美しく光りかがやいている白い鋼てある、この点ではひじょうに女性的な金属であるといわれますが、じっさいにも女性によく似た性格が多々あるのであります」

 

「フーさんよ……」マッちゃんがいった。

「ええっ、どないしたんな……」とぼく。

「いやな、ほかでもないが、このわしのことやが」

 こういってからマッちゃんは、髪の毛を手あらに掻きむしりながらつづけた。

「この歳になって、五十になってやで、いまさら勉強をさせられようとは、思ってもみなんだわ……」

 ひとごとのようにいうとマッちんは、むしりとった髪の毛を、講師がくれたテキストのうえでかぞえはじめた。

「ほんまやなあ、なんの因果やろうな……」

 ぼくはいいかげんな返答をしてから、マッちゃんの灰色の頭髪をながめた。このところめっきり白髪がふえて、うっとおしい梅雨どきのようにすっかり曇りきっている。講師がいった。

「鉄に十三パーセント以上のクロームを入れると、銹はでにくくなります。この鉄が銹にくくなる限界、これが十三パーセントクローム鋼であります」

 

「……わしのは、さびだらけや」テキストのうえの髪の毛を丹念に観察しながら、ひとりごとをいうマッちゃん。「マッちゃんのは……」とまえおきしてからぼく。

「あんたの髪の毛は、黒さを保ちつづける限界を、もうとっくのむかしにすぎてしもうたんや。頭をつかいこなしすぎたんや」

 そういってからぼくは、つい先日、風呂場のなかで髪を染めるのに一所懸命になっている

マッちんの姿を思いだし、こころのなかでクスクスわらった。

「……かあちゃんが買うてくれたんや、みっともないから、おしゃれしなさいやて」

 自慢そうにいってからマッちゃんは、洗面器で毛染薬をとかし、その液体を丹念に頭髪になすりつけはじめた。なすりつけつづけるうちにその真っ黒い液体は、マッちゃんのだだっぴろい顔をしたたり落ちはじめた。マッちゃんは目をあけていられなかった。

 

 素っ裸の男たちが腹をかかえて大笑いした。頭髪ばかりか顔じゅうをまっ黒く染めたマッちゃんは、おそろしい形相をしていたのだ。お化けだった。仲間たちが笑うものだから、ちらっと壁の鏡をのぞきこんだマッちゃんは、自分でもびっくりして、とびあがっておどろいてからあわてて湯をかぶった。