連載小説・小説集「工場」から
ソフトボール
(連載第七回)
ぼくは紙コップにビールを充たしてつかんでいた。五回ごろ、レク・リーダーの門脇がビールと酒とコーラと、スルメやピーナツなどのほかに弁当もはこんできた。ダッグアウトの長椅子に腰掛け、右手にコップを、左手にビールビンをつかんでいた。
六回の裏だった。先頭バッターの美濃口がバッターボックスへむかい、つぎがぼくの番だった。ファーボールでもエラーでもいい、こんどこそ一塁ベースの上に立ちたかった。
「……ミノやん、しっかり球をみていけよ」
ぼくはハッパをかけた。ミノやんは自信がなさそうに頭をかしげた。ぼくも大して期待はしていなかった。なにしろミノやんは、ずっと三振ばかりしいるのだから。
相手方のピッチャーは原口から門脇にかわった。アルコール類の段取りをすませ、レク・リーダーとしての役の一部をはたした門脇は、この回からゲームにくわわった。四月のきょうの天気のような、そろいの青いトレーニングウエアが目にしみる。白い帽子をふかぶかとかぶり、妙に落ちつきはらっている。
マウンド上で二ど三ど膝の屈伸運動をし、とまどいがちに突っ立っていたミノやんに、ボックスにはいれや、と顎をしゃくり、投球練習などする必要はないといった自信のほどをみせた。
チビで猫背で脚足のみじかいのを目にとめないでじっとがまんすれば、いっぱしのエースといった感じだった。本人だってどうやらその気でいるらしい。一球目をアウトコースぎりぎりに投げこみ、ストライクカウントをまずとった。
ミノやんがホーッとわざとびっくりしたように叫んで首をすくめた。エースはマウンド上を二ど三ど蹴って、うれしそうに笑いながら、
「まあ、まあ、見せ場はこれからや……」といって右手をさしだし、ミノやんの打ち気を制するのだった。
ぼくはおかしかった。得意満面の門脇の笑みにであうと、とうしても思いだしてしまうのだ。つい三日まえの夜勤がえり、門脇をふくめて五人ばかりで、ぼくらはあの立ち飲み屋のカウンターにしがみついて、コップ酒をあおっていたのだ。
そのとき、なにかの拍子に顔のことが話題になった。門脇はホリがふかい。鷲鼻でこころもちしゃくりあげた先のとがった顎と、くぼんだ茶色の目をしている。
「……カドやんの顔は日本人ばなれしている」
郷田がいった。
「エキゾチックな、情熱的な顔をしているよ……」
馬場がいい、すぐさま口にふたをすると、あらぬほうをながめて舌をだした。
ぼくはつね日ごろ、門脇のことをわけもなくただ漠然と、こいつの顔はトルコ系やな、と考えているけれど、あえてそれを言わないで、
「夜勤のときなんかに、カドやんがひとりさびしそうに、機械に目をほそめているのを見ると、ハリウッドスターのジェームス・ディーンみたいやなあ、こう思うことがあるわ、いやほんまに……」
こういってこころにもないことを口にしてしまったのだ。すると門脇が調子にのって、大まじめな顔でいったのだ。
「そうや、わしの子どものころのあだ名が、アメリカの進駐軍やった」
ぼくは可笑しかった。進駐軍といういまでは珍しくなってしまったことばもおかしかったけれども、言いおわって門脇が、酒でぬれた唇を手の甲でたんねんにぬぐいながら、おっとりと澄ましこんだ顔がもうひとつ可笑しかった。九州や山陰の出身がほとんどのぼくらの工場の現場で、門脇はこの阪神間の地元で生まれ育ったのだった。
「いまではマンモス団地になっているけど、終戦後のことよ、甲子園から鳴尾の海岸一帯にアメリカ軍が進駐しとったんや。そやからや、わし、アメリカ的な顔なんやて……」
門脇がいって遠くを見る目でつづけた。
「子どものころよ、チョコレートやガムを、ようけもろうたわ、アメちゃんに。カモン、カモン、いうてな」
「おまえだけは、特別扱いやったんとちがうか」
とぼく。即座に門脇がいった。
「そうや、よう知てるな」
「そらそうや、おまえのそのマスクやったら、あいつらアメリカの兵隊さんたちゃ、故郷の弟や息子を思いだして、他人とは思えなんだやろうな。そやからイヌかネコみたいに、カモン、カモンゆうたんや」
と郷田。
「ほんまや、いや、ほんまにほんまやで……」
と馬場。どうでもいいようないいかたである。
「そやろか、ほんまにそやろか……」
とがった顎に手をあてがって悦にいっている門脇。
ぼくは笑うにわらえずに、あわてて外の景色をながめた。黄色い手旗をもったママさんたちが、登校する小学生たちを順序ただしくならべていた。
ぼくの周囲に、顔をみただけで可笑しくなる人物が何人かいる。門脇もそのうちのひとりだ。かれらといるとイヤなことなど忘れてしまうから不思議だ。