連載小説 「工 場」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

「連載小説」

工 場

【連載第三回】

 

 きのう、ぼくたちは海の見える高いデッキのうえで仕事をしていた。工場の屋外の、弗化水素酸のタンクにしがみついて、その解体作業をしていたのである。あつい夏の日だったけれど、けっしてむしあつくはなかった。快い風が海面をはしってこちらに吹いていたし、岸壁をたたく潮騒が、風にのってかすかにきこえていたせいかもしれなかった。

ぼくは右手につかんだモンキースパナをやすめ、ときどき海をみていた。海は太陽にむかって光りつづけ、そのおびただしい光と光が、波と波とのわずかばかりの空間で、激しく乱反射しているように感じられた。海のかがやきを見つめていると目の前がくらんでしまいそうで、何回か目をしばたたいた。

 

ぼくは頭にかぶっている重いヘルメットを、海にむかって投げ捨てたい、と思った。腕の手甲も足にはめた脚はんも、それに油と汗に汚れた仕事着も脱ぎすて、素っ裸になりたい、と思ったのだ。雲ひとつない太陽の下で、ぼくのその格好はなんだか不自然に思われた。工場のうす暗いトタン屋根の下の、機械相手のユニホームなど、太陽に見せられたものではなかった。海がせせら笑っているようでかっこわるかった。

 

まるいタンクの蓋をめくりとるために、締めつけてあるナットのひとつひとつを取りはずしていった。ボルトのネジ山が錆びついていて、こちらのいうことをきかない。全身の力でスパナをつかいこなし、はてはハンマーでたたきのめしたりしなければならなかった。

むしあつくはないといっても、すぐに汗をかいた。顔しゅうを太い汗の玉がながれ、顔からのど首をながれてみぞおちの底へとくだっていく。ベルトのあたりがべとついて、へその穴に汗がたまるからくすぐったい。ぼくは腰をふって何回かいやいやをした。

 

 塩屋のおっさんとぼくは、タンクをはさんで向かいあっていた。ちょうど二メートルぐらいの間隔をおいて、にらめっこをしているようなかたちで仕事をしていたわけだ。馬渡のおっさんが間におり、ぼくらは鉛の巨きなタンクにしがみついて三角形になっていた。

おおかたのボルトをはずし終わって、矢倉に吊るしたチェーンブロックにワイヤーをとおし、つぎの段取りにかかっていたときのことだ。ふいに塩屋のおっさんが、

「おい、アベックや、みてみい」

 といって、海の方へ顎をしゃくったのだ。ぼくらは仕事の手をやすめて、タンクにしがみついたままその方を眺めた。タンクの下方は五十メートルくらいの河口になっていて、そのむこう側は海へとつづく一本道である。

 

「なんや、子供やないか」と、馬渡のおっさんはつまらなさそうにいって煙草をくわえた。ぼくはハイライトをつかみだし、おっさんに火種をかりた。

 その海へとつづく一本道は、昼間でもひっそりとしていてアベックがおおい。かれらはたいがい車でやってきて、密閉されたその箱の中で長く語らっている。それから夜ともなればかれらのラブシーンは目を見張るほど激しく、ふたつのシートを寝かせて素っ裸で抱き合っている。

 三交替勤務のぼくらは、工場の機械をはなれて交替でのぞきにくるのだ。夕方から夜にかけて、高いブロック塀の上部に鉄条網の張りめぐらされたこちら側から、むこう側の快楽の世界を固唾をのんでじっと見守るのだ。

 

 ぼくたちはタンクにもたれたまま煙草をくわえ、太陽のかがやきに目をほそめてむこう岸をのんきに眺めていた。路傍の草むらに二人の子供がいる。小学校へいくかいかないかの、幼い男の子と女の子だった。子供たちは雑草をつんでいるらしかった。

 周囲は煙突のたちならんだ工場地帯である。なぜかわからないのだが、ぼくは頭の中がぼーっとしてきた。太陽に反射して二人の姿がまぶしく、強く目にしみて涙がでそうだった。

 

 男の子は雑草の中にしゃがみこんでなにか摘みとったようだ。それをさも大事そうに女の子にわたしている。ヨモギかもしれない、とぼくは想ってしまう。

 あら、菊みたいね、とうれしそうに女の子がいう。ほら、葉っぱのうらに赤ちゃんのみたいな毛がはえているよ、と男の子。ほんとだ。これ、もぐさの原料になるんだって。ふーん、といってそのやわらかい毛なみをさすってみる女の子。くすぐったいわ。

 ほら、つゆくさだよ、と男の子、また摘んできて、ほたるぐさともいうんだ、と得意そうにいってわたす。それを手にとって女の子、しょんぼりしたような顔つきになっていう。もうほたるなかいなくなったというのに、つゆくささんかわいそうね、おともだちがいなくなったよ……。

 

 ふたりは深い雑草の中にいる。太陽がほぼ真上でかがやいている。ふたりの赤い帽子と白い帽子がまぶしすぎほど眩しい。地熱と草いきれ、それに子供たちの体臭までが風にのって匂ってきそうな気がする。ぼくは小さなめまいをおぼえる。なんだか非現実な光景をながめているようなボーッとした気分だ。