連作小説「神への道」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

連作小説 「神への道」

第一部 「少年記」

第四十一作

うそぬきの滝近郊の作物

「トウモロコシなど」

 

「……迷わぬ者に悟りなしとことわざにあるが、人は悩みをもつ者ほど悟るのじゃ。迷わなければ、救われることはなか。疑問がなければ、悟ることもなかとよ」

 夕食のときである。晩酌の焼酎の湯割りを手にして祖父がタケルにいった。祖母がオクラを刻んでから、皿にもって食卓においた。近所から分けてもらったといって、イチゴもおいた。祖父はことばをつづけた。

 

「人の世は、何事も経験なんじゃ。人はよく、得がたい経験をしたというが、経験というんは、人が自分の周囲を変えようとするとき、それに、自分自身を変化させようとするときに、その活動が、もっとも基本的なものになるもののことじゃそうな。ラジオがそんなふうに言ってきかた」

 

 祖父はオクラを口にしてから、湯飲み茶わんの焼酎をぐっと、うまそうに飲んだ。祖母が食卓について、イチゴを口にした。祖父がタケルにまたいった。

 

「ラジオはこげん言うて聞かせた。人が何事かに直接ぶつかったときに、それが何らかの意味で、その人の生活を豊かにすることになる。経験が生かされるからである。経験から、知識や技能を得てきたからである。それが知恵として、働きはじめる。ラジオがこうゆうておった」

 

 祖父はきげんがよかった。一杯のんだ焼酎のせいだった。二杯目に手をのばしてからことばをつづけた。

「よかか、タケル、子どもが学校へ行くのんは、経験を得て、それをば積み重ねていくためなんじゃ。勉強も運動も、訓練なんじゃ。予習や復習をするのも、そのためなんじゃ。跳び箱の練習を、放課後も一人でやるのも、経験を増やそうとする思いがあるからなんじゃ……」

 

 イチゴとオクラは祖父の好物だった。だけどイチゴは、めったに口にすることができなかった。そのイチゴを口にして祖父がことばをつづけた。

「……良きことは真似になるともするが良し、いつしか慣れて真なりけりと道歌にあってなあ、母親によく暗記させられたものじゃった」

 

 子どものころであった。転校生がいた。小学校の四年生になっていた。転校生は勉強も運動もよくできた。タケルは授業中に、じっと見ていた。よそ見をしない。先生の口もとに、神経を集中させていた。

 

 休み時間に運動場へてると、空中転回をやる。ウサギのようである。地を蹴って、跳び上がって、くるっと一回転してから、着地する。仲間が拍手喝采する。タケルは基本を心得ていると思った。

 

「マネをしてやろう。あいつに出きて、おいどんにできないはずはなか……」

 タケルは授業中のよそ見や、手遊びはやめた。先生の口からでる言葉に聞き耳をたてた。学校から帰ると、田んぼへ行って、高い土手から宙を舞って、着地をこころみた。来る日も来る日もそれを続けた。それが、いつしか慣れて真になったのだった。

 

 小学校の隣りが、高等学校であった。帰りに高校の校庭を歩いて行った。野球をやっている。テニスをやっている。体育館ではバスケットボールをやっていた。

 

 プールがあって、真っ黒な身体ですいすいと泳いでいた。イルカのようである。家の近くに川がある。ゆるやかな流れが、30メートルばかり続くところがあった。

タケルは高校生の真似をした。クロール、背泳、バタフライ、平泳ぎと試みた。夏の暑い日である。来る日も来る日もつづけた。

 

 町民体育祭があった。6年生になっていた。

「出てみろよ……」

担任の先生がいった。小学生の部で、自由形に挑戦した。プールで泳いだのは、初めてだった。ロープは張っていなかった。

 

 ヨーイ・ドンで1コースへ跳び込んだ。目をとじて、全身で水を掻きむしった。目をつむっていたから、底の白線をみていなかった。

 

 手をプールの壁に当ててゴールしたときだった。9コースへたどりついていたのだった。斜めに泳いだわけである。しまったとタケル舌打ちをした。うしろを振り返った。他の小学生たちは、まだ泳いでいるのだった。

 

 学校の帰りに、高等学校の校庭を歩く習慣が生かされて、よく見るという経験を積み重ねたからであった。水泳が特技となったのである。それに、自然がつくり出した滝と川の流れが、家の近くにがあったからだった。

 

 夕食をすませたタケルは、囲炉裏端で作物図鑑に目をとおしていた。祖父と祖母はお茶をのんでいた。

「イチゴはバラ科で、果実を生で食用にしている。また加工用に利用している。生育の適温は,摂氏17度から20度である。親株からランナーがでて、子株ができる」

 

「イチゴは9月ごろに子株を植えて、翌年の5月から7月に収穫している。トンネル栽培や石垣栽培も行なわれている。原産地はチリである。 一般にはオランダイチゴのことを、イチゴと呼んでいる」

 

「イチゴもどきがある。大根おろしにミカンを入れて、酢を混ぜてあえた食べ物である。おいしい」

 

 

「オクラはアオイ科で、開花後の7日から10日くらいの若い果実を食用にしている。生育の適温は、摂氏25度から30度である。暑さに強い」

 

「オクラは春に種まきをすると、夏から秋まで収穫することができる。高さが2メートル近くになる。原産地はアフリカの東北部の、エジプト地方である。オクラの黒い種子は、炒ってコーヒーの代用にすることができる」

 

「トウモロコシはイネ科で、エイ果を食用にしている。果実はデンプンに富んでいる。家畜の飼料にもしている。オスとメスが,同じ株である。オ花は茎の頂点につく。メ花は節に、2個から3個つけている」

 

「トウモロコシは暖地では2月から5月ごろに、寒冷地では5月から6月ごろに、種まきをしている。収穫は8月から10月である。高さが3メートルにもなる。原産地はペルーあるいはメキシコとされている。世界の全域で栽培されていて、品種はきわめて多い」

 

 

「ナンキンマメ(ラッカセイ)はマメ科で、別名で落花生である。脂肪分に富んだ種を食用にしている。高温多湿をこのんで、乾燥に強い。子房の柄がのびて、地中にはいっていき、太ってサヤとなっていく」

 

「ラッカセイは3月から4月に、さし芽をして、11月に収穫している。60センチ位の高さになる。原産地は南アメリカである。日本には中国から渡来したので、この名がある。ピーナツとも呼ばれて、油を採ることもできる」

 

「アズキはマメ科で、赤や白や黒や、まだらのある種を食用にしている。菓子にしたり、あんこ加工にしたりしている。低温に弱い。夏アズキ、秋アズキ、中間アズキの系統がある。北海道で多く栽培されている。5月に種をまいて、霜が降りるまえに収穫している。70センチ位の高さになる。原産地は中国である」

 

「ダイズはマメ科で、タンパク質に富んだ種を食用にしている。ほかに、味噌や醤油や、豆腐に加工されている。気候に対する適応性が大きくて、全国で広く栽培されている。短日植物である。早生種は夏ダイズとして、中生種は中間ダイズとして、晩生ダイズは秋ダイズとして作られている」

 

「ダイズは関東地方では、5月から6月に種をまいて、8月から11月に収穫されている。高さが90センチ位になる。原産地は中国である。栽培の起源は古く、日本への渡来もきわめて古い」

 

「ダイズカスは、大豆から油をしぼった粕である。食品の原料にされている。またチッソ肥料にもされている。大豆油は、大豆の種子から採った油である。半乾性である。食用や灯油に使われている。また石鹸を製造する原料でもある」