連作小説「神への道」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

連作小説 「神への道」

第一部 「少年記」

第三十二作

うそぬきの滝近郊の作物

「ダイコンの仲間」

 

「……大根役者とよく人がよくいうが、芸の下手な役者を、あざわらっていうことばなんじゃ」

 夕食のときである。晩酌の焼酎の湯割りを手にした祖父がいった。

「役者に年なしとことわざにありますなあ……」

 食卓についた祖母がいった。祖父が焼酎をぐっとひと口のんでからいった。

 

「そうよ、役者は年をとった役でも、若い役でも、それらしくうまくやる。ほんとうの年がわからん。いつまでも若い。人はだれも役者にならんといかん……」

 ダイコンのナマスをひと口たべてから祖父がつづけていった。

 

「……このあいだラジオがこう言うておった。人の世は大きな舞台であって、人間は俳優であるとな。そげん言うたとは、シェークスピアなんじゃそうな。どこの誰か知らんがな」

 

 タケルは子どものころから、芝居や映画が好きだった。祖母が、どさまわりの芝居が好きで、背負われて町中の芝居小屋までよく観にいった。おおかたが時代物の、母と子の苦労話だった。祖母は泣いていたが、タケルは眠ってしまうのだった。

 

 映画もタケルは好きで、子どものころからよく観てきた。この地域の青年団が、リヤカーに映写機を積んで、映写技師と公民館へやってくる。子どもたちは始まるのが待ち遠しい。今かいまかと待ち構えている。

暗くなって、大人たちがやってきて、スクリーンに絵が動き出した。あのころ、活動写真と呼ばれていた。ここでは時代劇のチャンバラがおおかった。

 

 小学校のころは、巡回映画があった。教育映画である。『路傍の石』とか、『次郎物語』とか、『風呂炊き大将』などをおぼえている。逆境や苦難に負けずに、こつこつと働きながら、学問をしていく少年の物語が多かった。

 

 家の手伝い事でしんどいときだった。タケルは自分は俳優なのだ思うようになった。牛を引いて川原で遊ばせる少年の役である。苦難に耐えなければならない。やがて明るい未来がひらける。馬小屋の家畜のウンコの掃除もたいへんである。がまんをしなければならない。

 

 まだ水道のないころであった。天秤棒にバケツを吊るして、飲み水を汲みにいく。足がふらふらする。俳優はつらい。だけど耐えなければならない。心の均衡を保って、水バケツと格闘したのだった。

 

 山へ炊き木をとりに行く。カマドに使ったり、風呂を焚いたりしなければならない。背中に重い枯れ木の荷を背負う。二宮金次郎になったつもりで漫画本を手にしていった。

家畜のエサをとりに川原へいく。草かごを背負う。ずっしりと重く肩にくいこんでくる。この草で、牛や馬がよろこぶ顔がみたい。。名優はどんな役でもこなさなければならないのだった。

 

 馬も俳優なのだと知ったのはそのころだった。ハーモニカを吹いて聴かせたのである。北海道の牧場で、競走馬を育てる少年の映画をみたからだった。マネをしてみたのである。

 馬が足を鳴らして踊った。ヒヒーンと笑った。首をさかんに振って、品をつくっている。すこぶる機嫌がいいのだった。

 

 手伝い事の締めくくりは、馬とハーモニカで遊ぶことに決めた。主役を馬に任せて、タケルは脇役におりた。さらには演出家になって、観劇者の目線で主役の馬の芸を楽しむことにしたのである。

 牛はかたわらで、知らんふりをしている。鈍感な生きものめと、無視することにきめた。モー、モーと啼いて、大食する動物の芸をこなしつづけているのだった。食べたら膝をおって、ごろっと横になって口をもぐもぐさせている。

 

 あるときのことだった。タケルは学校の図書室で、馬と牛について調べてみた。実物はいっしょに暮していてよく知っていた。だがそれだけでは、満足できなかったからだった。もっとくわしく知りたかった。

 

馬の知能は、家畜の中ではかなり高い。脳の発達度を示す指標の一つである脳化指数は、犬猫に次いで、少なくとも長期の記憶は非常に高いことが知られている。

 

乗り手(騎手)が初心者か、あるいは下手な者であれば、乗り手を馬鹿にしたようにからかったり、わざと落馬させようとしたりする行動をとることもある。

 

逆に、つね日ごろから愛情をこめて、身のまわりの世話をしてくれる人物に対しては、絶大の信頼をよせて従順な態度をとる。大切にしてくれたり、いつも可愛がってくれる人間の顔を、生涯忘れないといわれている。

 

それを物語るつぎのような逸話がある。日中戦争ときだった。農耕馬を軍馬として徴用された日本の農民が、自身も兵士として徴兵されて、中国大陸に送られていった。

数年後のことだった。偶然に、中国の戦地で、かつての愛馬にであった。そのときに、馬の方が自分を覚えていて、なついてきた姿を見て、その兵隊は涙をながした。周囲の日本の兵士たちもその姿を見て、感動したというのだった。

 

ウシは4つのをもっていて、一度飲み込んだ食べ物を胃から口中にもどして、ふたたび噛む「反芻(はんすう)」をする反芻動物のひとつである。実際には第4胃だけが本来の胃で、胃液が分泌されている。

第1胃から第3胃までは、食道が変化したものである。草の繊維を分解する細菌類や、原虫類がつねにいて、繊維の消化を助けている。動物性のタンパク質として細菌類や原虫類も消化される。

 

ウシのは、雄牛の場合は上顎に12本、下顎に20本で、上顎の切歯(前歯)は無い。そのため、草を食べる時には、長い舌で巻き取って口に運ぶ。鼻には、個体ごとに異なる鼻紋があって、個体の識別に利用される。

 

家畜であるウシは、食用では肉牛として牛肉牛脂を、乳牛として牛乳を採るために飼養される。

また馬と同様に、役牛として農耕耕牛)や運搬(牛車)などのための動力としても利用されてきた。

 

牛皮は、牛革としてかばんや各種のケースや、ジャンパーベルトや、など衣類装身具等の材料にされる。牛糞 は肥料や、地方によっては重要な燃料及び建築材料として利用されている。

農耕を助ける貴重な労働力であるウシを殺して、神への犠牲として、そこから転じてウシそのものを神聖な生き物として崇敬することは、古代より非常に広い地域と時代にわたって行われた信仰である。

現在の例として、インドの特にヒンドゥー教徒の間で、ウシが神聖な生き物として敬われて、食のタブーとして肉食されることがないことは、よく知られている。

牛がクギなどを食べた場合に、胃を保護するために、磁石を飲み込ませておく事もあるというのである。

 夕食をすませたタケルは、目を囲炉裏端で作物図鑑に目をとおしていた。祖父と祖母はお茶をのんでいた。

 

「ミヤシゲダイコンは、秋ダイコンの種類である。料理やつけ物にされる。切り干しにされたりもしている。尾張平野の、宮重地方の原産である。品質はすぐれている。根が円筒形をしている」

 

「ミノワセダイコンは、 夏ダイコンとして広く利用されている。高温やウイルス病にも強い。初夏から、秋ダイコンができるまで収穫ができる。スが入るのが早く、肉質や味はいまひとつである」

 

「ショウゴインダイコンは、土の層の浅い京都でつくられている秋ダイコンの種類である。肉質はやわらかい。辛味が少なくて、味がよい。根は丸い偏球形をしている。1個が3キログラムほどになる。料理や漬け物に利用されている」

 

「ハツカダイコンは、外国から輸入された小型のダイコンである。赤・白・黄・紫などがある。球形や長円形やボウスイ形があって、直径が2センチ位である。生育が早く、3週間から4週間で収穫ができる。サラダや漬け物に利用されている。夏のほかに、一年を通して収穫ができる」

 

 ダイコンはアブラナ科の、一年草または越年草である。原産は地中海地方といわれている。古くに中国大陸を経て日本に伝わってきた。

 葉には深い切り込みがあって、羽の形のように分裂している。長大な白い色をした多肉根が普通にある。

 春になると、白色やうす紫色の十字花を咲かせている。やがてほそ長い実を結んでいる。品種が多い。「すずしろ」とも呼ばれている。春の七草の一つである。「おおね」とも呼ばれる。