何故、「代議士」を「先生」と呼ぶのだろう? | 自民党潰す会・・・2

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政治家を「先生」と呼ぶ記者にビックリ、さらに驚いた瞬間も…二階元幹事長の「不出馬会見」で気になった“場の空気”

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文春オンライン

 

 先週月曜におこなわれた自民党の二階俊博元幹事長の会見。記者の質問に「ばかやろう」と言ったことがニュースになったが、私はあの会見自体の空気がどうしても気になったのだ。

 

  【画像】なぜか「二人体制」だった会見の様子 

 

 「ばかやろう」の前段はこの質問だった。 「このタイミングで、次の衆院選の不出馬を決められたのは、やはり政治資金パーティーの問題、不記載であったことの責任を取られたと考えていいのですか? それとも二階先生のご年齢の問題なのでしょうか?」(毎日放送の質問)  記者が二階氏を「先生」と呼んでいたことが気持ち悪かった。 

 

 先生……? あえて嫌味で呼んでいるなら面白いがそういう感じではなさそうだ。

さらに驚いた場面

 政治家は私たちの代表、つまり代理人である。なぜわざわざ先生と呼ぶのだろう。百歩譲って二階氏に何らかの世話になった熱烈な支援者がそう呼ぶならともかく、マスコミの人間が公の場でも先生と呼んでへりくだっている。なるほど政治家側も勘違いする土壌があるわけだ。 

 

 さらに驚いたのは二階氏の「ばかやろう」発言の直前、「お前もその年、くるんだよ」と言った際に笑い声が聞こえたことだ。記者なのか関係者なのか。動画で何回も確認したがやはり聞こえた。ゲラゲラという爆笑ではなく「二階さんらしいわ、ヒヒ」というニュアンスの笑い方だったが、あそこで笑う?

 

 そもそも「ばかやろう」と言われてなぜ誰も暴言を問わないのか。小声すぎて聞こえなかったのか? では二階氏の会見だというのに、後ろにいる男性がほぼ答える不自然さをなぜ問わないのか。あれは誰にでもわかる違和感だったはず。

会見で二階氏の後ろにいた人物

 後ろにいた男性は林幹雄という幹事長代理を務めた人らしいが、二階氏の護衛のように控え、平気で口を出してくる。あの構図こそ「二階とは何か」を問う象徴的な場面だと思うのに、なんでみんな平気なの? 会見を見た視聴者(世の中)とのギャップがありすぎた。でもこういう感じが二階氏を読み解くポイントなのかもしれない。 

 

 思い出してほしい。二階氏が裏金で購入していたとする書籍が約3500万円という話題があったとき、最も支出額が多かった『ナンバー2の美学 二階俊博の本心』とはどんな本なのか、 当コラム で報告した。 

 

 それによれば二階氏が人心掌握に長けているといわれる極意は、 

 

 『義理(G)と人情(N)とプレゼント(P)』  略して“二階のGNP”と紹介していた。真面目に書いているから笑えるのだが、ここから読み取れることは何か?

 

二階のGNPから見えてくるもの

 巨額のカネで書籍を買い取って配りまくるのも“二階のGNP”なのだ。見えてくるのは「内輪にはやさしく、仲間になると利益がある」ことだ。この構図は「二階の50億」にも共通する。公開義務がない政策活動費で、二階氏は幹事長時代に5年で50億円受け取っていた。そのカネを何に使っていたのか。政治とカネ、裏金問題そのものである。「仲間になると利益がある」は壮大な内輪の論理であり、政治家・二階俊博の本質なのではないか?

 

 今回の二階氏について自民党内はどんな反応なのか。キーワードは「世耕」だ。二階氏と同じ和歌山を地盤とする安倍派の世耕弘成参院議員は衆議院へのくら替えを狙い続けてきたが、世耕氏にも裏金事件が直撃。なので、二階氏は息子を後継者にするタイミングとして、 

 

 《首相周辺からですら「次の地元選挙のことを考えてもベストなタイミングだ」との声が漏れる。》(朝日新聞3月26日) 

 

 党内では二階氏の決断を褒める声が多いようだ。 

 

 しかし、 

 

 《二階氏の不出馬表明をめぐり、自らへの処分を回避し、後継問題でも優位に立つという意味で、その政治的技術を称賛する声が党内には広がるが、それはあくまで内輪の論理に過ぎない。》(同前)

新聞の論調は…

 内輪の論理。結局、裏金についての説明はないまま終わらそうとしている。有権者にとって「ベストなタイミング」だの「政治的技術」だのは心底どうでもいい。 

 

 新聞の論調もおおむねそう。 

 

 『二階氏の不出馬 責任逃れは許されない』(京都新聞3月27日・社説) 

 

 『二階氏の不出馬表明 処分逃れ、裏金解明遠のく』(河北新報3月26日・社説) 

 

 『二階氏の不出馬表明 責任逃れの幕引き許されぬ』(中国新聞3月26日・社説) 

 

 ただ、新聞にもいろいろある。北國新聞の「時鐘」(1面コラム、3月29日)は『義理と人情』というタイトルで二階氏について、

 

 《義理人情の人を続けるのは楽ではないだろう。何かとお金もかかる、と想像する》 

 

 《義理人情に厚い親分としては政治責任を取ると言わざるを得ない場面である》 

 

 《不本意な姿の幕引きも安倍派の政敵を封じ込めるための演出に生かしたのかもしれない。それが分からないのかと言いたかったのか、会見で85歳という年齢の影響を問われて「ばかやろう」とつぶやいた》

説明責任より義理人情がお好き?

 そして、 

 

 《昭和の空気をまとう政治家には住みにくい世間になった》 

 

 とも書いていた。政治とカネの説明責任より義理人情がお好きなよう。そういえばこのコラムは昨秋の馳浩知事の五輪機密費発言の際に、 

 

 《「機密」を口にしたら身も蓋もない。触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。》(2023年11月22日) 

 

 と、およそ言論機関とは思えないことを書いていたっけ。自分も権力側という視点だった。森喜朗先生と仲の良い新聞だけある。二階先生、次回は北國新聞がある石川県から出馬したらどうですか。

 

 

 二階俊博に限らず、国会議員に対しては、マスコミをはじめ、国民みんなが「先生」と呼び掛けているように思う。

 衆議院議員の呼び方は「代議士」。参議院議員の呼び方は「議員」となっている。にも拘らず、特にマスコミは「先生」と呼んでいるが、奴らは「先生」の「国家資格」を持っている訳でもない。

 中には、弁護士等の資格を持っている者もいるが、全く「先生」とは縁がない。マスコミは、注意を引こうと「先生」と呼ぶようになったのだろうか?

 平仮名にすれば、「せんせい」「だいぎし」と、同じ4文字だ。何のために「先生」と呼ぶのか?裏では、ここまで「悪い事を平気で行っているのに」・・・。

 マスコミの伝え方から、一般国民も同じように、「先生」と呼んでいるのを聞くが、とんでもない。こんな「汚い」奴らが、「先生」なはずも無い。

 全てが、自分自身のためにやっているし、国民の事など考えていない事は分かると思う。いい加減に、マスコミも「代議士」と呼びやがれ!