「政治と金の話」なのに、いつのまにか…自民党「裏金」問題で行われた「論点のすり替え」のズルさ
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いま新聞では自民党の派閥解散の話で持ちきりです。しかしこれらの記事を熟読している人はどれだけいるのだろう?
自民党員でもないし関係者でもない人間からすれば派閥があろうがなかろうがどうでもいいからである。そんな人々にとって重要なことは「派閥を解消するほど裏金問題が重要だと言うなら、裏金を何に使っていたのか、どんな効果があったのか、党として説明してほしい」という点だろう。これなら自民党員でない人にとっても重要だし知らなければいけない話だ。
もし有権者からは見えない裏金が選挙に使われていたり(総裁選含む)、誰かの地位を上げるために使われていたら、それは民主主義といちばん遠いことをやっていたことになる。ギョッとする。そこを説明せずにいきなり派閥解散だなんて言いたくないことを覆い隠しているだけだ。
「玄人風」の解説に要注意
注意したいのは今回のような政治と金の話になると“玄人風”の解説もよく出てくること。曰く「政治には金がかかる」というやつ。そうして話を終わらそうとするが「いや、かかるなら、どれぐらいかかったかも見せてほしい」のである。
すべて可視化されたらどうなるか。「この政治家はこれぐらいお金がかかるけど活動的だ」と思うかもしれないし、「この人はお金がかからないけど、全然活動してない」と思うかもしれないし、「お金をかけているけど、活動的じゃない」という政治家も見抜けるかもしれない。要は有権者がいろんな判断ができるのだ。見えない金で政治が動いていたら有権者は情報を与えられていないのと同じ。そんなアンフェアな状態が続いていたのかと思う。
有権者は情報を与えられていないと思った最近の好例をあげよう。
『萩生田光一氏、キックバックは5年で2728万円…報告書に記載せず』(読売新聞オンライン1月22日)
自民党安倍派の萩生田光一・前政調会長は22日に国会内で記者会見し、同派の政治資金パーティーを巡り、2018~22年の5年間で、パーティー券販売のノルマ超過分として派閥からキックバック(還流)を受けた計2728万円を政治資金収支報告書に記載していなかったと明らかにした。
この会見をした日付に注目してほしい。1月22日は萩生田氏の地元・八王子市の市長選の翌日だった。市長選は萩生田氏が推した候補が勝利したが、選挙が終わったとたんに萩生田氏は「キックバックは5年で2728万円、不記載」と報告してきたのである。こういう振る舞いを平然と仕掛けてくるのだ。
安倍派幹部らの「言い訳」
さらに、裏金を受け取っていた安倍派幹部らの「言い訳」は一致する。 《裏金の存在を把握していなかったことを強調し、秘書らに責任を押しつけるかのような姿勢が目立つ。》(朝日新聞1月23日)
記事からまとめると、
「詳細まで把握していなかった」(萩生田光一氏) 「政治資金の管理は秘書に任せきりだった」(世耕弘成氏) 「秘書にはノルマ分を売ればよいと伝えており、還付金は把握していなかった」(西村康稔氏)
松野博一氏に至っては会見を開かず、ホームページにコメントを掲載。
「還付金があれば、政治資金収支報告書に記載するなど適正に処理されているものと認識していた」
ああ、同じだ、あのときと同じ。
私が思い出した「昭和の事件」
昭和の末にリクルート事件があり、あのときも政治家は「秘書が」「秘書が」と口にしていた。リクルート事件のあとには政治改革の気運が高まった。10代だった私も覚えているが、政治改革が始まって、政治改革大綱ができて、派閥を解消することになった。しかしそのうち政治改革が、選挙制度改革が中心になっていった。中選挙区制から小選挙区制に変えれば政治はよくなるというムードになったのを覚えている。
今回も同じようなパターンだ。政治と金の話なのに、いつのまにか派閥を解散すれば政治はよくなるというすり替えがおこなわれている。だから派閥解散の記事を本気で熟読している人はどれだけいるのだろう? と思ってしまうのである。
ここで新聞報道を見てみよう。
『宏池会「解散」衝撃 首相方針』(読売新聞1月19日) 『岸田派直撃 苦肉の解散案』(毎日新聞1月19日)
重々しく伝えるがそんなに「衝撃」で「苦肉」なのだろうか。だって、現在自民党でおこなわれている派閥解消論議はただの政局ではないのか?
うわべだけの刷新か?
岸田首相はこの2年間、安倍派・麻生派・茂木派などに気を使って人事や政治をおこなってきた。まさに派閥重視の人であり大派閥に頭が上がらなかった。しかし今回派閥を解散して“無派閥という大きな派閥”に転向すれば、麻生派や茂木派を少数派にすることができる。ただの多数派争いにも見えるのだ、皮肉にも。
このように思えるのは先例があるから。菅義偉氏である。菅氏は派閥解消を訴える無派閥の人というイメージがあるが、菅氏を慕う中堅若手の議員グループ(ガネーシャの会)がある。党内外から「事実上の派閥」という指摘もあった。
※「ガネーシャの会」も解散検討をしているという(産経新聞1月25日)。
岸田首相も菅氏を見習って「無派閥」を売りにするのだろうか。これもうわべだけの刷新なんじゃないの?
今年の通常国会は、「政治とカネ」と言う、何十年も前からの「永遠の議題」になるはずだったのに、始めから「集中審議」という事で、立憲を中心に「安倍派・二階派等」の「裏金」問題にすり替えられてしまっているではないか。
これによって、自民党は「誤魔化し」が出来るようになってしまった。また、立憲等の野党も「裏金」はあると考えているが、それを隠すためには、自民党の「派閥問題」に絞る事で、「論点変更」がでけた。と喜んでいるだろう。
その結果として、死に神岸田文雄の内閣支持率が若干上がった事を見ればわかる。という事で、日本の「政治」は、死んでしまっていると言える。
このままでは、自民党が盛り返して、「元の木阿弥」になってしまう事は間違いないだろう。