あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい
著者:モルデカイ・モーゼ 出版社:沢口企画
大変僭越ではありますが、ある知人から上記本を紹介されたので皆様にも紹介させていただきます。内容はユダヤ&隠れ共産主義政権であった米ルーズベルト政権は、日本潰しを狙って日本を戦争に引きずり込んだ。戦後は占領政策によって憲法改正を強要し、日本の良き伝統・民族として変えてはならないものまで変えて、日本という国を変質させてしまった。
これにはユダヤ人が深く関わっており、それに対する懺悔がこの本のようです。私はまだ実物は読んでいません。
僻目の平田

フランクリン・D・ルーズベルト(ウィキペディア引用)
あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい
著者:モルデカイ・モーゼ 出版社:沢口企画
著者(1907年ウクライナ生まれ)は、哲学者でロシア革命で指導的役割を果たした革命家を父に持ち、ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当し、その後「サッスーン財閥」の顧問となり日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年アメリカに亡命し、ルーズベルト下でニューディール派のブレーンとして活躍。1943年から対日戦後処理の立案に参加。戦後十数回来日している。(以上著作から引用)
著者は、戦後30年を経過した日本が、戦前の理想的な数々の長所が失われたまま真の日本歴史の構築を阻まれている深い苦悩を見て、この著作を思いついたと言っている。これらの病巣のルーツが殆ど戦後処理に関わったユダヤ人のユダヤ的思考の所産に他ならないので、その事実を知って貰うことが日本人が真の日本の歴史を生き生きと構築することに役立つのではないかということである。
本書は40年前に出版されたものの出版社の倒産で絶版となっていたが、40年前と変わらない日本の現状を鑑み、この本を眠らせおくのは惜しいとの思いに駆られ、この度、沢口企画が自費出版の形で復刻したものである。これを要約するのは難しいとは思いながらも以下の通り要点と思われることを認めてみた。
令和元年10月 眞鍋 宜夫
1.日本の戦後処理とユダヤ人
(1)先ず、大東亜戦争を仕組んだアメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトであるが、彼は正真正銘のユダヤ人である。彼のようなユダヤ人は「諜者(秘密や内情を密かに探る者)」と呼ばれる。ユダヤ民族の遠大な計画のために表面上はクリスチャンに改宗したことにししているが、最も強固なユダヤ教徒でありマルクス主義者であった。
(2)ルーズベルトの取り巻き連はユダヤ人マルクス主義者群であった。詳細は省略するがフランクフルター、ブラインダイス(何れも最高裁判事)、バルーク、ダグウェル、等々のニューディラー達だ。
(3)終戦後ニューディラーは、アメリカ本土と日本で、初期のGHQを思うがままに牛耳っていた。彼等は全てをマルクス主義に則って施策していた。そしてマッカーサーはニューディラーの指令に忠実に動いていた。そして、日本国憲法の原案を2週間で書き上げたのはGHQにいたニューディラー達だ。
2.ユダヤ人が日本人に謝りたいこと(1)戦前の天皇制攻撃
・ユダヤ人の大思想家ジャン・ジャック・ルソーは「社会契約説」の中で「随意に祖国を選べるなら、君
主と人民の間に利害関係の対立がない君民共治の国を選ぶ。そのようなものが地上に存在するはずもな
いだろうから、自分はやむを得ず民主主義の国を選ぶのである。」と言っている。
マルクス主義はユダヤ人が自己の民族解放事業の為の道具として編み出した虚構論理であり、国家とは破壊・転覆すべきであるということを基本原理としている。
その為に、明治以降日本の天皇制打倒のために、法理論により国家機能を弱体化し君主制を形骸化すべく美濃部達吉に近づいた。その後、コミンテルンの日本出張所として誕生した日本共産党に「天皇制」打倒を至上命令として実践させた。
・ところが、天皇陛下はマッカーサーとの会見時、開口一番「自分のことはどうなっても良いから国民を救って欲しい」と切り出した。
ルソーは知らなかったが搾取者と非搾取者の関係が存在しないユダヤ民族が理想と表現した国が日本であることを知らされたとき、ユダヤ人が天皇制を攻撃してきたことの間違いに気づいた次第である。
日本国憲法はユダヤ人がユダヤ思想に基づいて作った作品であるが、冒頭に天皇の項を設けたのはせめてもの反省のためである。
3.ユダヤ人が日本人に謝りたいこと(2)東京裁判
・A級戦犯14人は国際法で裁かれたのではなく、単に戦勝国が裁判というものを恣意的に演出したものに過ぎない。元々そのような国際法はなかったので、日本国民は14人を犯罪者扱いすることは無いのである。
・戦後日本人の価値感その他が戦前と180度転換した原点は東京裁判にある。特に東京裁判へマルクス主義階級闘争論を持ち込み、即ち善悪二元論の持ち込みによって日本国民を二極分化させた事が大きかった。
戦争の責任は「天皇制軍国主義者」にあり、日本国民を被害者とする論法である。これは日本国民自身には耳障りが良く、結局真の責任者の追求を放棄してしまったのである。そして、悪玉即ち「天皇制軍国主義者」に支配された戦前の日本は全て悪であるという観念が日本国民を支配するようになった。
さらに、自分たち被害者を善玉と規定してくれたアメリカ占領軍の政策を全て善と感じるようになってしまった。
・この流れで政権担当政党は悪玉でこれに反対するのが善玉の使命と信じ込まされ、権威に反対する思潮 が東京裁判を通じて巧妙に持ち込まれてしまった。
4.ユダヤ人が日本人に謝りたいこと(3)日本国憲法
(1)日本国憲法を作者はユダヤ人である。
日本人は未だにこの憲法の本質がユダヤ的思考の所産であることを知らないようだ。ここに貫かれている思想は時代錯誤的なユダヤ思想である。更にここにはユダヤ人が犯した致命的な誤りがある。
この憲法は、道を尋ねられたときに故意に反対の方向を教えるようなもので、筆者はユダヤ人としてこのまま放置してはいけないと考えている。
(2)日本国憲法はワイマール憲法のずさんな丸写しである。
第一次大戦後にドイツにワイマール共和国というユダヤ政権を樹立したのは人口比1%に満たないユダヤ人であり、ドイツ国民と平等な権利を獲得したことに飽き足らず、既存の国家を内部から分裂させるような「人間の純度」を落とす内容をワイマール憲法に仕組んでいた。
特に、「自由」と「平等」という非両立性を持つ概念を憲法に入れ込んだことをドイツ人は見抜きナチズムを興した。なお、ワイマール憲法はナチズム台頭の必然性が織り込まれているため国際的にはタブーになっているが、ユダヤ人ケーディスを中心としたGHQのニューディーラー等によって「2週間」という短期間にワイマール憲法もどきの日本国憲法が作られた。
ドイツ国民はワイマール憲法の虚構性を瞬く間に発見して引きずり下ろししたが、日本はその呪縛の中で呻吟している。
戦後30年の長きに亘って真の日本の歴史を構築できず、ナショナル・アイデンティティを待たずに、当てもなく漂っているのが、今の日本国国民の姿ではないだろうか。
(3)日本国憲法には「人間の純度」を落とす内容が仕組まれていると言う事を順次見ていこう。
・第9条の「戦争の放棄」の意味するところは「武装解除」である。
マルクス主義国家論は国家の転覆を至上目的にしており、ユダヤ勢力は第一次大戦後列強の武装解除を目指して国際連盟を創設し軍縮と労働運動に力を入れた。憲法9条のルーツはここにある。
・第11条の基本的人権は被害者意識から出発した概念でユダヤ人の血の出るような要求でもある。
・第12条の「自由の保障」と、第14条の「平等」は、この憲法作成者の主目的である。
・第13条の「個人として尊重される」というのは個人主義思想の導入が目的である。個人主義は国家崩壊の第一歩と考えられている。
この個人主義に第12条の自由をプラスして無限大にこれを追求すれば国家の混乱を助長することは明白である。
・第14条は「平等」の押しつけで、最大の問題点を内在する。
戦後の日本でこの「平等」という言葉ほど世の中を惑わせたものはない。これは虚構であり、仏教の教えでも「平等あるところに不平等あり、不平等あるところに平等あり」といっている。
また、日本には「人種」とか「信条」とかの差別は元々なかったのにこれが入っているのは、制作者ユダヤ人の歴史の被害者意識が書き込ませたものである。
・第15条「全ての公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と当たり前のことが書かれているが、これもユダヤ人の被害者意識から来ている。ユダヤ人は居住する国々で常に公務員から差別的に扱われてきた。
・第16条も然りである。
・第18条「何人も如何なる奴隷的拘束を受けない」
この奴隷という制度は日本の歴史には全くなかったのにこれが入っているのも、ユダヤ人が歴史上 同様の扱いを受けてきたからである。
・第20条はユダヤ人にとって死活問題である。
「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又政治の特権を行使してはならない」。
これはワイマール憲法の丸写しで、ドイツにおけるユダヤ人の権利に関係している。
こんなものを教条主義的に日本に持ち込んだため、首相の靖国神社参拝が問題になってしまう。その度にユダヤ人としては恥ずかしい思いをする。
「何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強要されない」
これを入れた背景には、キリスト教、ユダヤ教のもつ極端な排他性にある。八紘一宇の思想を基調とする神道、あまない(和)を基調とする仏教とは次元の異なるものである。
排他性のない高度に理想的な日本の宗教界に持ち込むべきものではなく、日本の宗教問題の専門家に、一日も早く神道と他宗教の次元の相違を論理的に解明し、他宗教の妨害を断固排撃して貰いたい。
・第21条では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」としている。
集会の自由はユダヤ人の示威のために必要だった。結社の自由も同様だ。出版の自由はマルクスも盛んに力説していた。言論の自由に至っては、世界の圧倒的多数の情報機関を握るユダヤ勢力にとっては飯の種である。
・第22条「居住、移転及び職業選択に自由」
日本ではこのようなことが問題になった事はないが、ユダヤ人にとっては大問題で歴史的に随分虐げられてきた背景がある。それに対応するために作ったワイマール憲法の残渣といって良い。
・第23条の「学問の自由」だが、これも同様で、例えばユダヤ人のアインシュタインはドイツの大学に入れて貰えなかったし、同じくマルクスも学問の道に進めなかったといった背景がある。
・第24条は夫婦同権を謳ったものであるが、マスコミによって男女同権に拡大されてしまった。
人間には自然の摂理によって両性に全く異なった天分がもたらされているにもかかわらず、これを単純に平等に扱うというのは自然の摂理に対する冒涜である。
また、姦通罪を外すことによって巧妙に性風俗の低下に拍車をかけ家族制度の破壊を加速した。
この結果、家庭内の調和が乱れ、核家族化現象も促進され、子供は親の面倒を見なくなってしまった。
なお、ユダヤ人の現代社会では父は絶対的な権威を持ち、核家族化という現象はない。
善悪二つのもののうち、ユダヤ人は日本に悪いものを押しつけ、過去において賞賛されてきた日本の家族制度を壊してしまったと言っても良い。
・第25条は最大の反真理性を持った典型的なタルムード(ユダヤ教の経典)思想である。
「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。おそらくこれほど耳障りの良い文句もないのではないか。続いて、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生に向上及び増進に努めなければならない」とあり、おそらく日本憲法にイメージづくりに最も貢献している条項の一つであろう。理想憲法と言われるのもこの辺にあるのかも知れない。
この母体もワイマール憲法に見ることが出来る。かってユダヤ人は職業を僅かな賤業に制限されており職業選択の自由は全くなかった。したがって、ユダヤ人の願望は最低限度の生活が出来るような仕事にありつくことだった。ワイマール憲法の第163条(ドイツ人民はその経済的労働によりその生活資料を求めることを得べき機会を与えられるべし。適当な労働の機会を与えられざる者に対しては必要な生活費を支給する。)によって一挙にこれを叶えた。
ユダヤ思想の大御所ジャン・ジャック・ルソーはたとえ慈善を受けて生活してもそこには借りが残るというのが平等な感覚であると言っている。ところが「社会福祉」という耳障りの良い表現にされてしまうと、ついその本質を見抜く努力を忘れてしまう。日本国憲法のこの条項を良くえぐってみるとき、底にそこに秘められた恐ろしさはただ者ではない。
・第26条「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべての国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に、普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする。」
明治以来、日本では教育の機会均等などが奪われたためしはない。また、文盲率が殆どゼロという、世界で最高の読み書き算盤が出来る民族である。子女に義務教育に参加させない父兄は皆無といっていい。しからば、何故この第26条を一見してバカバカしいと感じないのだろうか。日本の2千年の歴史の過程で日本民族が積み重ねてきた文化に対してこのようなことを憲法に書き入れることは、ナンセンスといわねばならない。 これも例のワイマール憲法からの教条主義丸写しである。
・第28条「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」
これは階級闘争の持ち込みであり、この憲法を作成したユダヤグループの最大の目的とするものの一つである。ただし、このような実体法に属するものを憲法に組み入れるのは常識外である。
ルーズベルト政権のニューディール政策は共産主義化政策であったが、たまりかねたアメリカ連邦政府は1935年5月ついに憲法違反の判決を出したが、ルーズベルトの若手ブレーンであったケーディスは日本憲法に階級闘争を持ち込んだ。
5.ユダヤ人が日本人に謝りたいこと(4)日本共産党
ユダヤ人が日本人に謝らなければならない最大のことは、戦後日本共産党を育て残置諜者(敵地で情報を収集する情報員)として残していったことだ。
共産主義者で構成されていたニューディーラーは社会主義革命こそ起こさなかったが、戦前にあった類い希な長所をすべて破壊した。しかし、それ以上に大きな誤りは、残置諜者として日本共産党を育て残したことである。
それは、東京裁判、日本国憲法、その他の戦後改革による悪弊も、これらの病理をタブーにして一指だに触れさせじとする日本共産党なかりせば、とっくに払拭されたであろうと思うからである。
日本共産党自身が全く意識していないことではあるが、日本共産党がこれほどまでに日本国憲法を溺愛するのは、ユダヤ教の宗教的呪縛力によってである。