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クレハズム

松澤くれは公式ブログ。

本日も『わたしの、領分』稽古でした。


主人公・萩野と、その夫のやり取りを中心に。


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子どもを巡って夫婦の意見がすれ違うシーン。

 

 

子どもについて考える。

 

男は「子どもを欲しい」と願い、

女は「子どもを産みたい」と願う。


 

「女には子宮がある。これだけは譲れない。だから生き残るのは、最期は女なの。」

(月喰マスカレイド)

 

 

男性は子どもを産めないから。

女性に、いのちの望みを託す。

 

出産は体験だ。

子どもが欲しい、は体験じゃない。


だから男はどうしても、産まれてくる前のいのちに対して、女性よりも距離がある。

 

きっと男はいざという時。

母体を第一に考えてしまう。


これから産まれてくる子どもと、自分の妻のいのちを天秤にかけなくちゃいけなくなったら。僕は妻を選ぶ。この決断は非情なんだろうか。


もし僕が女だったら。自分と、おなかのなか。どちらを取るだろう。わからない、どこまでいっても想像の先に真実はない、だけど答えは決まっているように思える。



家族って何だろう。

ふたりが一緒になって家族になる。

子どもがやってきて家族が増える。


先日、7月公演『私を知らないで』の戯曲を書き終えても考えた。

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「家族とは親が子に与えるものじゃない。親子で築き合ってできるものだ」

(私を知らないで)


血の繋がりだけが家族じゃない。

ふたり揃ってなくてもいい。僕は片親だけど、不完全な家族だと思ったことは一度もない。 


いのちの営みを続けるために。

誰かと手を取り合って次につなげるために。


僕たちは、いまここにいる。



『わたしの、領分』は。

受け継がれるいのちの物語でもあります。




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わからないこと。
答えの出ないこと。
簡単に言いきれないこと。

役者さんたちとともに。
じっと、向き合ってみたい。


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松澤くれはプロデュース

『わたしの、領分』

2017年3月28日(火)~4月2日(日)

@小劇場 楽園

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【公式サイト】

https://watashi-no-ryobun.themedia.jp/

【チケット予約】
『わたしの、領分』本格的に稽古はじまってます。あと3週間くらいで初日です。早い。



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演出をつけてます。

演出家って、椅子に座って机からあれこれ指示してるイメージだと思いますが、僕は役者さんに近い距離で立ってあれこれ考えます。



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それにしても近い。


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なんかもう走ってっちゃってるし。



やり方に正解はなくて。
同じ目線で見えてくるものを探したいんです。

登場人物の目線。
客席からの目線。



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積極的に質問にきてくれる役者陣。
こういうのは、とても嬉しい。


きっといい作品になる。
いい物語が劇場に生まれる。







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松澤くれはプロデュース

『わたしの、領分』

2017年3月28日(火)~4月2日(日)

@小劇場 楽園

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【チケット予約】




会社の人間じゃなくなりました。
今後はフリーで活動していきます。

組織に帰属しないのは心細い。
正直不安で仕方ない。肩書きもなく一人でやっていけるのか。また騙されるんじゃないか。自分を守ってくれるはずの事務所に壮絶な裏切りをされたトラウマは、まだ根深く残っている。次に同じことをされたら完全に折れてしまうから事前の策を万全にして臨みたい。


僕は芸術家ではありません。
火遊びの劇団活動と、現在行っている『わたしの、領分』プロジェクトを除き、お仕事として創作活動をさせていただいてきた。
「お金がなくても自分の求めるものを突き詰める」といった境地にはついに至れない自分を認めている。

生活が立行きいかなくなる、仕事がなくなった時が引き際だと思う。

「売れない」とは仕事がない状態。
提供できる商品を生み出してこそ、職務に従事するものと自負できる。少し特殊なだけの頭脳労働による自己表現に、貨幣価値を付加させている、それで生計を立てているに過ぎない。

そもそもお金になりにくい演劇の世界で、多くの人が求めるエンタメとも距離をおき、矛盾を抱えながら創作をしてきた。

多くの人が直視したくない問題や葛藤を、ごまかさずに見据えたくて、その生々しさは演劇がいちばん伝わると信じてやってきた。

「心に負担がかかる」
「観るのに覚悟がいる」

そう言われることが多い。
あなたの芝居を観たせいで鬱病になったと責め立てられたこともあった。

逃げてしまいたいとも思う。
エンタメでいいじゃないかとも思う。
みんなが楽しめるものに憧れることもある。


だけどそれはきっと正しくない。
人には人の、領分があるはずだ。

「救われた」
「言葉にしてくれてありがとう」

公演の度、そう言ってくださるお客さんたちが必ずいる。日々の生活にどこか生きにくさを感じていて、言葉にできないもやもやを抱えてる人が僕の芝居を観て「ああみんなそうなんだ」って「この気持ちはこうなんだ」って「もう少し大丈夫かもしれない」って「明日から前を向いて生きよう」って思ってもらうため、それだけを頼りに今までやってきた。



腹を括りたい。
自分の人生や選択に責任をもてるのは、他ならぬ自分自身。やらない言い訳を探して逃げるより自分にできることをやっていきたい。

既に決まっているお仕事に、ただ真摯に取り組む。


願うことならずっと演劇を作りたい。創作を続けたいと願っている。

どこまで走れるかを自信もって宣言することはできませんが、力ある限り頑張ります。




どうぞ劇場に足をお運びください。
応援いただけましたら、幸いです。

せっかく同じ時代に産まれたんだ。
あなたとわたしが、Weに近づくために。