私どものお寺には、様々な苦しみを抱えていらっしゃる方が、多く相談にみえます。
不安などの苦しみというのは、どんな人でも少なからず抱えています。
それは例え、綺麗な芸能人でも、社会的地位の高い人でも、大金持ちでも皆
大小様々な苦しみというのは持っているものです。
では、このような苦しみから逃れるにはどうすればよいのでしょうか?
そのような相談について、わたくしは、'''「苦しみには意味がある」'''と答えます。
人生では挫折や事故・病気、お金に困るなど様々な問題が常に生じますが
人生で起こるどんな問題も、'''何か大切なことを気付かせてくれるために起こる'''のです。
つまり、偶然起こるのではなく、起こるべくして起こるのです。
ということは、自分に解決できない問題は決して起こりませんし、前向きで愛のある
取組みさえしていれば、後で必ず「あの問題が起きてよかった・・・そのお陰で」
と言えるようになります。
これまで不幸だ、災難だと恐れ嫌っていた人生の苦難は
実は「自然のルールから外れたぞ、そのままでは不幸になるぞ」と注意してくれる信号であり
一歩進んで、その苦しみを恐れず、逃げず、受けれて前向きに対処すれば
そのすぐ向こうに、広々とした幸福の世界があるということを教えてくれる灯火なのです。
苦難は人を苦めるためでも、殺すためでもありません.。
正しく生かし、本当の幸福の道に立ち返らせるための鞭であり
照明であるのです。
悪れるべきは何もなく、嫌がらなければならない何物もありません。
今や病気を歓迎し、苦しみを謳歌する時代が来たのです。
このように、苦しみとは何か、どうしてこのようなものが人生で降りかかるのか
ということの意味を知ると、苦しみの中でもトンネルの先の出口に差す光のように
希望があることが解るでしょう。