こんばんは^^
今日は落ち着いてきた新潟市です^^
写真は数年前のものです。
この度はもうちょっと積もっています。
というのも、
一昨日から新潟市では積雪。
昨日は朝から車を出すだけで大変だった人も。
ただ、新潟にいて、
一番ラッキーと思えるのは、
もしかしたらこの日々なのかもしれません。
なぜかといえば、
大雪になると、人が優しくなる不思議(笑)
大雪の度に感じています。
車がスリップして動かなくなったら、
周りに人が集まってきて、
車を押してくれる。
車輪の周りの雪を掻き出してくれる。
除けた雪で狭くなった雪の道路を
会釈を何度も何度も繰り返しながら、
譲り合い、笑顔も見える。
あまりにひどい雪の時、歩道がないから、
車道を人が歩くしかなくて、
車が立ち往生しているから、
普段交通量の多い交差点も、
歩行者天国よろしく
縦横無尽に人が歩いていたけど、
誰一人怒る人もいない。
どうせ車も全然動けない。
歩いて10分のところは、
車では1時間たっても着けやしないありさまだし。
大きな道ではなく、2台やっとすれ違う道では、
どっちが譲る?
お前がどけよ!
っていうオーラもフォトンも1ミリも感じない。
どっちも譲り合って、動かなくて、
結局笑いながら会釈して通り過ぎたり(笑)。
そんな心打たれる光景が、
繰り広げられるのです( *´艸`)
大雪の日って、もう、
あきらめるしかないんですよね(笑)。
大地震の時もそうでした。
とはいえ、この「あきらめる」って
実は苦手な人、出来ない人が多いはず。
戦時中言われていた
あきらめません、勝つまでは
そんな遺伝子も教えも残っているはずだから。
あきらめちゃだめ。
最後まで頑張れ!
出来るまでやるんだ!
みたいな。
私なんかは昭和な
「とにかく努力」
という教えも沁みついていましたから、
なおのことです^^
でもね、
こんな非常事態になると、
私たちの「あきらめる」が発動してくれる。
そんなように思えます。
で、この「私たちのあきらめる」は、
あきらめたとき、
万歳っていうか、手放しになるんじゃないかと。。
で、手放しってことは、
そこに我が無くなるんではないかと。
「私」が、~~したい
「私」が、やらなきゃ
「私」は、~~すべき
その私が無くなる。
だから、同じように困っている人がいたら、
すんなり手を貸せる。
そう、組み込まれちゃってる(笑)。
新潟のこの大雪の日。
大地震の時。
我が無くなった
そういう瞬間を覚えていませんか?
そういう感覚がありませんでしたか?
わたしたちにはそういう遺伝子があり、
その感覚がわかる。
大雪の日は、大変だけど、
我の無くなるヒトが増える。
あきらめて、
我が無くなると、
心に余裕ができる。
優しい世界がひろがる♥
あったか~い気持ちになれる。
それを年に何回も感じられる。
新潟に住んでいて、本当にラッキーだな、
って心から思います。
無我の境地って、ヨガでも仏教でもいうけど、
難しいな~って思いますが、
雪国では、実は毎年ちゃっかり
みんなでそんな感じになってるじゃん(゚Д゚)ノ
ただ、これを日々に再現したいものです^^
出来ないからって、
自分に失望してあきらめたり、
意に添わなくて、
誰かへの期待をあきらめたり、
ってのではなく、
手放しの、あきらめる。
我を無くす、あきらめる。
大事ですね^^
今日の気づきはとても嬉しかったな!(^^)!
こうしてシェアできて嬉しいです^^
これを読んでいるあなたも
この記事を引き寄せていて、
困難な時に、無我の境地になって、
人を助ける人なんだと思うから。
きっと同じように思ってくれていますよね^^
さらに上手に、我を手放していきましょうね^^
みんなで~\(^o^)/
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^
では、また^^