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Atatürk Evi

ムスタファ・ケマル・アタテュルク、言わずと知れた トルコ共和国建国の父で、1881年に Selanik で 生まれています. Selanik は ギリシャの都市 テッサロニキのことです. 現在、生家は博物館になっているらしいです.

彼は 一生の間に いろんな場所に 住んだため、トルコ各地に <アタテュルクの家>と 呼ばれる家が 残っているようです. 私が見たのは チャナッカレ(ダーダネルス)海峡の ヨーロッパ側にある Bigalı Köyü という小さな村にある家(美術館)でした. フェリーでアジア側に渡ろうと 車で 走っていたのですが、道路に <Atatürk Evi>と 表示があったので、ちょっと 脇道に入るのですが、行ってみました. ちゃんと管理人がいて、きちんと 維持されていました. 何年から何年まで ここにいたのか メモしてこなかったので 今となっては はっきりしないのですが、恐らく <チャナッカレの戦い>の頃であろうと 推測しています.

<チャナッカレの戦い>は、第一次世界大戦のさなか、1915年から1916年にかけて チャナッカレ海峡周辺で 連合国とオスマン帝国との間で行われた 海と陸の戦闘. この戦いで イギリス、フランス、ロシアなどの連合国側は 大敗を喫したそうです. 今に語り継がれる激戦で、ここに イギリス連邦の一員として参戦した オーストラリア、ニュージーランド軍も 大きな損害を受けました. 毎年 4月25日には "ANZAC Day" として オーストラリア、ニュージーランドのみならず トルコでも 記念式典が 開かれます.

余談になるのですが、オーストラリアに伝わる歌があります."The Band Played Waltzing Matilda" という、チャナッカレの戦い(英語では Battle of Gallipoli)で両足を失って 傷痍軍人となった男の歌です.

Wikipedia - ガリポリの戦い
Wikipedia - ANZAC Day
YouTube - The Band Played Waltzing Matilda

ちなみに、アタテュルクは 10 Kasım 1938、午前9時5分、イスタンブルのドルマ・バフチェ宮殿で 亡くなっています. "10 Kasım(オン・カスム、11月10日)" は アタテュルクの命日として トルコ人なら 誰でも知っていて、この日この時刻には 人々は 立ち止まって 黙祷します.


"Atatürk Evi" の管理人 Cemal 氏
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再現された アタテュルクの朝食
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