2011年8月14日に、クルーズ船シルバースピリット号でヴェネチア港を出発し、翌日はダルマチア地方のリゾート地フヴァル島を訪れたことを前回お伝えしました。そして翌日の8月16日朝8時、待ちに待ったドゥブロヴニクへと入港しました。この日は午前中は「アドリア海の真珠」として有名な、城壁で囲まれたドゥブロヴニクの旧市街を巡り、午後は郊外のリゾート地ツァヴタットでの昼下がりを楽しみました。
アドリア海に突き出したドゥブロヴニクDubrovnik旧市街は、1979年にユネスコの世界遺産に登録されて以来、世界中から多くの観光客が訪れています。クルーズ船はグルージュ港に入港、そこからシャトルバスで旧市街入り口に向かうことになります。こちらは旧市街に入って城壁沿いにある遊歩道からの風景です。それは現地に着いた朝からご案内しましょう。
グルージュ湾に面する家々が朝日を浴びています。デッキでは朝食の準備が出来ていました。
嘘みたいに美しい風景に囲まれて、夢見心地で朝食をいただきました。
①ピレ門
ドゥブロヴニク旧市街には3つの門があります。3つの内でもっとも遅れて完成した北側のブジャ門、旧市街の西側にそびえるプロチェ門、そして東側にあり旧市街を訪れる観光客のほとんどが通るのが、ここピレ門です。
②フランシスコ修道院と欧州最古の薬局
ピレ門に隣接して1317年に建てられたフランシスコ修道院があります。ドゥブロヴニクの中でも代表的な建物で、石工師によりいたるところに装飾が施されています。
修道院内には修道士達への薬を処方する目的で設けられた薬局があり、一説にはタリン、ダブリンに開設された薬局に次いで古いとされていて、現在でも営業を続ける薬局としては欧州最古を誇っているそうです。
薬局内に飾ってあったクラシックなアスピリンのポスター。わたしはここでおみやげにデトックス茶とセルライトを減らすクリームを購入しちゃいました。
それではさっそく、城塞まで登って参りましょう。
最初の要塞は12ー13世紀に築かれましたが、現存するモノは主に14ー17世紀に新築または再構築されたのだそうです。
城壁からアドリア海を望みます。
城壁の下には民宿風の建物と宿泊客用のビーチでしょうか、岩場では少数の観光客が紺碧の海を独り占めにしています。
旧市街の家々は外壁も屋根も色が統一されています。
城壁の途中、見晴らしのいい場所から観る旧市街はこんな感じです。
目の前には古びたカリヨンが。
屋根のない炎天下で、観光客が沢山いて追い越しすることも出来ないでのろのろと進んで行きます。結局のところ城壁一周は断念し、途中の海洋博物館の先で城壁から市街地に降りました。
港まで下りてきました。
下の道も映画のワン・シーンのようです。広告が一切ないのですね。
③ドゥブロヴニク大聖堂
1192年に十字軍遠征途中のイギリス王リチャード・コールデ・リヨン公の乗った船がドゥブロヴニク沖で難破し、ドゥブロヴニクの市民により救助されました。この大聖堂は、その市民による献身的な救助へのお礼として彼からの寄付金により建てられたのだそうです。
きれいなクーポラです。
スクリーンから抜け出てきたようなふたり。
④スポンザ宮殿
この宮殿は1516年に造営が開始されました。当時からドゥブロヴニク市内で最も美しい建物の一つに数えられ、その昔、ドゥブロヴニク共和国にやってくるすべての貿易商人たちを迎え、そして送り出すための税関のような役目をもった施設でした。
メインストリートのプラツァ通り。
ピレ門の上から見えたオノフリオの大噴水です。ここから門を出て、旧市街地の入り口へ戻り、もの凄い交通量の中、われらがシルバースピリットの専用シャトルバスを待つこと十数分。ようやく到着したバスに乗ってクルーズ船へと戻りました。
動くホテルである船に戻ってランチを済ませ、いざ、午後の寄港地ツアーに出発です。午前中は自由行動でしたが、午後はオプショナル・ツアーでツァヴタットへ。往きはバス、帰りは船でグルージュ湾に戻ります。
ツァヴタットという港町はイタリアのポルトフィーノよりも大きいのですが、本当に午前中訪れたドゥブロヴニク旧市街の喧噪とは打って変わって人影も少なくお店もなんにもなくって、田舎の海水浴場といった風情の街でした。
ここはまた別のおとぎの国みたいです。
小さな海水浴場で自由時間となりましたが、水着を用意していなかったので海辺でぼーっとしています。
透明な水がキラキラ光ります。
昼下がりを港町でのんびり過ごした後、ボートで戻ります。
ツァヴタット、さようなら。
再び、ドゥブロヴニクの旧市街が見えてきました。このあとクルーズ船に戻ります。翌日はアドリア海を南下して1日中船の中、イタリア半島の南をぐるっと回って翌々日にシチリアに寄航します。つづく。