春のまつり | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

前回記事を書いたのが立春で、その次の日はほとんど一日中雨の寒い日だった。けれど私達一家はまるで春の様な暖かい喜びでいっぱいだった。


前回の記事に書いた様に5日の日に私の三人目の孫で、次女にとっては第一子となる長男が無事に誕生した。側で見守ることはできなかったけれど、遠く離れた地で私達はもうお祭り騒ぎだった。




退院したら会いに行くつもりだけれど、ほんとはすぐにも飛んでいきたい。母子共に元気そうでひと安心はしているけれど待ち遠しくて仕方ない。


待ち遠しいのは新パパもだ。1日30分しか面会できないらしい。1時間かけて病院に行き30分ほどとは、まだコロナやインフルエンザへの対策は厳しいけれど、そのくらいでちょうといい。すぐに一緒に暮らせるのだし😄


昨年末に義母が亡くなってからおよそ二ヶ月ほどで新しい命が誕生と言う、生と死に向き合った二ヶ月だった。義母もあと少し生きていたら曾孫に会えたのに、と思う。うちの家族にはもう曾祖父、曾祖母はいなくなったけれど、新パパの所はどちらも健在で、それはそれは喜ばれているようだ。お元気なうちに産まれてよかった。


我が家の方では思いがけず長女が大喜びで興奮していた。そんなにまで喜んでくれるとは!それが私にはまた嬉しいことだった。


それにもうひとつ驚いたのが、家族のグループラインに誕生の一報があったのだけれど、一番最初に、それもすぐにおめでとう、を伝えたのが長男だった。




まさに連絡があった直後に。相変わらず一行だけだけれど😁


その後はラインの嵐!長男はそれからは加わらず!けれど初発のおめでとう、は効いていた!

かなりの驚きと感動だった。


長女も感動の様子



そして長女は!

長女にとって初めての血縁の甥がうれしくて仕方ないらしい。なんとはっちゃけたラインだ。けれど嬉しさが溢れんばかり。

思えばうちの三人の姉弟は子供の頃は全く仲がよくなかった。私は自分に兄弟姉妹がいなかったから兄弟姉妹がいる人が羨ましく自分は3人くらい子供が欲しいと思った。そして兄弟姉妹とは助け合う仲のいいものだと思い込んでいた。そして強くあこがれていた。

けれどそうはなかなかうまくいかず、子供もできにくく、3人の子供を授かったけれど、長女の誕生から8年して次女が誕生、その 3年後に長男と、長女と長男に至ってはひとまわりの年の差があった。

およそ兄妹らしくないし、長女は妹や弟をちっとも可愛がらず、次女と長男はけんかばかり。仲の良い姉弟などと言う幻想は打ち砕かれたのだった。私達が死んだらこの姉弟はバラバラになってしまうんだろうな、と寂しく思っていた。

長女にやまとが誕生した時には長男は小学生、次女は中学生と、とても叔父と叔母と言うには幼なかったから長女の助けには全くならず。


そんな3人だったから今回これほどみんなが喜ぶとは思いもよらない嬉しいことだった。長女も大人になり、自分の子供ができて、年の離れた妹と、ようやく共通の会話ができるようになったことが嬉しいのだろう。次女にしても子育てのベテランの長女が頼りになることだろう。


 流れた年月と、そして誕生した次女の赤ちゃんが、姉弟を繋いでくれた。


続々と続くライン。



とーさんは、なぜかラインでは標準語でかたい表現でひとり浮く。とりあえずめでたい、とか、全面的にめでたいだろ!と突っ込みどころ満載だけれど喜んでいるのは間違いない。


うたも参加



ちなみに名前は昴(すばる)だ。




こういうことのようだ。いい名前だ。


一足先に春がきたような我が家だ。これからまた雪が降るかもしれないけれど、我が家は春だ!春が来た!


もうじき会いに行くからね!すばる、ようこそこの世に!みんなを幸せにしてくれてありがとう。これからも一緒に幸せに生きていこう!私達がすばるが幸せでいられる様に守っていくからね!