仕事始めと二○加煎餅 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

5日間の休みもあっという間に過ぎて、4日から仕事始めだった。体がまだまだ休みモードから抜けていないけれど、それでも一歩施設に足を踏み込むと気持ちはちゃんと仕事モードに切り替わるものだ。休みは嬉しいけれど、まだこの賑わいの中で多くの人達の中で仕事をするのはいいものだ、と思う。


特に今年は喪中と言うこともあり特にどこかに行くわけでもなく静かに穏やかに過ごしたお正月で、たまにはほんとに良いのだけれど、仕事を辞めてずっとだとしたら心も体も萎えてしまう気がする。仕事を辞めたとーさんは、と言うと、じっとしてはおれないタイプなので、大工仕事をしたり家の中や庭の改造、はたまた釣りや猫の相手とすることは沢山あって結構なことだ。


私はまだ今年も職場で頑張ろうと思う。まずは新年の挨拶なのだけれど、皆私が喪中と言うこともあり、おめでとうの言葉は控えつつ、今年もよろしく!と挨拶を交わし合う。


そしていつも通りの仕事をこなし、昼の休憩でスタッフルームに入って瞬時に目に入ったのは、懐かしい赤い箱! ちょっと牛乳石鹸の様な💦




博多煎餅じゃないのぉ!?と懐かしさと喜びに震える。実は子供の頃から長年私は博多煎餅だと思っていたけれど、にわか煎餅だった💦そうか、二○加煎餅だったんだ!博多名産の!


箱の裏側

よしださん、ありがとう💓よしださんのお土産だった

職場にはみんながどこかに出かけたお土産だったり、お菓子を持ち寄っては休憩時間に食べている。にわか煎餅は、若い職員が博多に誰かのライブを見に行ったとかで、お土産に買ってきてくれたものだった。この年末年始の連休に行って来たらしく、中のお煎餅はすでに空っぽだった😳 元旦から仕事をしている職員達の口に入ったんならそれでいい。


お煎餅はなかったので、検索して出てきた画像をお借りしたものだけれど。



こんなお煎餅だ。瓦せんべいっぽいかも。


それでも箱だけでもあったのが嬉しい😆

中にはお面もあった!


目玉部分はくりぬけるようになっているし、ゴムを通してお面を被ることができる。私が子供の頃と変わらない。

実家が山口県だった私は博多はそれほど遠くはなく、東京、大阪に比べ程よい距離の都会を感じる街だった。たまにではあるけれど、確か父の友人が北九州にいて、私もついて行っていた。そして帰りに博多まで足を伸ばし、このにわか煎餅を買ってもらうのが嬉しくて仕方なかった。

煎餅が欲しかった訳ではなく、何故かこの赤い顔!そしてお面が欲しかったのだ。 かなり私が小さかったからいつからあるんだろう、と検索してみると、なんと明治39年!わたしが生まれるはるか前からあったのだ。今はすぐに検索できて実にいい😄。


画像お借りしました。

この箱もらっていい?と聞くと、空っぽですよ、と怪訝な顔をされる。いいのいいの!煎餅が欲しいんじゃないの!煎餅はそんなに美味しくないし、この箱がたまらなく懐かしいんよな!などとおばちゃんは余計な口をすべらせる💦 い、いや、美味しくないことはない!普通普通!とフォローにも何もなっていないけれど、優しいよしださんは気を悪くすることもなく、中のお面ごと私にくれた。ありがとう、ほんとにありがとう!

あまりに喜ぶおばちゃんに引いたかもしれないけれど、私は仕事始めからこんなラッキーアイテム(いつからラッキーアイテムになった!?)を手に入れて今年も幸先のいいスタートになった。見れば見るほどおめでたくもある。飾っておこう!

嬉し過ぎて長女に画像を送ると。



長女は初めて見たと言い、(確かになぁ、結婚して岡山で暮らし始めると博多は遠くなって行くことはなくなっていたからね)それにしても懐かしさなどの先入観なしに見るど、確かにぬりかべに見えなくもない😳

いや、ぬりかべはあくまで妖怪!これは福の神だと思う。


けれどその直後、うちの職場でお正月に自宅に帰っていて施設に戻ってきたばかりの利用者さんが一人、コロナに感染していたのだった😱 やはり今年も職場は波乱の幕開けとなったのだ。でもにわか煎餅(正確には箱とお面)を励みに今年も波乱の中でがんばる!!💪