猫達との暮らしの中で | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

前回の記事では退職したとーさんの新たな一面を知ったことも書いたけれど、猫達との暮らしの中で見せるとーさんの一面も再発見した。

猫好きなことはわかっていたけれどこれほどだった!?と驚くことが多い。以前私の休みの日の朝にとーさんが猫達と朝散歩をしているのを見たけれど、天気もいいしたまたま気が向いたのかと思っていたけれど、先日の私の休みの日にも散歩をしていた。聞くと今は毎日の日課らしかった。









私の中ではとーさんと散歩が全く結びつかない。基本的にイラなとーさんが当てもなくのんびり猫達のペースで散歩するなんて!😳 おそらく私とは散歩など絶対にしないと思うし私もしたくない。イラなとーさんと一緒にいると、どうも落ち着かない。

今のとーさんは猫達と一緒の時は別人の様にゆったりしているようだ。仕事をしている時はそんな時間や気持ちのゆとりはなかったと思うからこれも退職して気持ちにゆとりができた、と言うことだろう。

けれど私だって猫達には愛を注いで可愛がっていると思う。とーさんほど猫達と遊んでやることはないけれど、細かな世話は私がしているし、先日も私達の夕飯のおかずの魚を猫達にも焼いてやり、はさみで細かく骨も砕いてやるほどの気遣いをしている。

けれどその時とーさんはさらにその切り刻んだ魚を口に入れ熱さを確認し、猫じゃから猫舌じゃろう、などと言って確認した魚を自分の手から食べさせていた。



そこまで~と驚くと同時に、負けたかもしれない、と思った。猫達もとーさんの方に懐いている気がする。

夜も最近猫が体に乗ってきたり枕元で暴れるから寝不足だ、とか言っている(仕事に行ってないから寝不足でもいいらしいけれど)から、じゃ部屋のドアを閉めて猫達が入らない様にすればいいのに、と言うのだけれど、そうじゃな、と言いつつやっぱり猫達が自由に出入りできる様にドアを開けている。猫達が来なければ来ないで寂しいのだろう。

それを横目に私は寝不足では困るので自分の部屋のドアはちゃんと閉めて寝る。やっぱり猫達への思いはとーさんの方が深い。そう言えばみぃが捕ってきた獲物を見てはとーさんは褒めてやっているのに、私はその獲物をこそっと逃がしているし💦

先日も長女達がやって来た時に人見知りの激しいくぅが姿を隠した。それが気になって探しまわるとーさん。長女は家の中には居るんだから心配することないのに !折角来てるのに私達より猫の方が大事な訳!?😠と怒っていた。まぁそれは比べるようなことではないけれど。

そんなとーさんと猫達を見るにつけ、それでもいつかは猫達を見送る日が来るだろうし、そうでなければ猫達だけ残るのは猫達が不幸になる。私達が揃って見送ってやれればいいだろうけれど、人の寿命はわからないものだ。 せめてどちらかは生きていてやらないといけない。

その際は、私よりとーさんの方が長生きした方が絶対猫達はいいだろうな、と思う。とーさんの方がいなくなってしまえば悲しむだろう、と最近思っている。

実際に私よりとーさんの方が頑強だからそうなるんじゃないかな、とは思う。一人残るとーさんはその後大変だし孤独かもしれないけれど、ま、それも仕方ない。猫達を見送ると同時にポックリ逝ければいいけれど、そうでなければ若い人と再婚してまた猫を飼う、と言う道もあるかもしれない。

やや高齢になった人間達が動物を飼うと言うことはそういうことも考えるのだ。最近は暮らしのすべてが猫達を中心にして回るようになっている。

そうして私は今はとーさんが少しでも長生き(私や猫達よりも)するように願う心優しい奥さんになっているのだった。猫達のために😌