命を想う季節 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

今日はほぼ日本中雨模様のどんよりとした日曜日になった。けれど春先にはこんな日も多く春らしい日だとも思う。


こんな空模様のせいばかりではないけれど、命日が近づいてきたな、と毎年思い出す子がいる。もう三年になるのか、と思う。長男の同級生で小学校1年生の頃から知っている子だ。心優しい子だったのに、26歳の若さで逝ってしまった。家族にとっては、まだ3年なのか、もう3年なのか、止まった時は動き始めているのだろうか、私には想像しかできないけれど、親が子を見送ることほど生きる上での苦しみはないと思う。


私にはリアル友でもう一人その経験をした人がいる。私の短歌の先生でもある友人で、病気で9歳の長男を亡くされている。30年以上前になる。もう当時の生皮を剥がされる様な痛みや苦しみは時が和らげてくれてはいるだろうけれど、体の一部を失ったような思いは生涯消えることはないと思う。


先日もう一人そんな想いをした人を知った。以前から通っているリメイク洋裁教室の先生も息子さんを過去に亡くされていたことがわかった。


少し前からそんな気もしていた。先生は洋裁を始めたきっかけは子供が保育園に行くようになってから時間ができたので習い始めた、と言われていたから子供さんはいるはずなのだ。けれど、 子供さんがたとえ一緒に暮らしてはいなくても、いる気配がないと言うか、私達夫婦が死んだらこの家も国のものになるから甥夫婦に相続しようか、などと他のメンバーさんに話しているのを聞いたこともあるし、私が息子を無茶苦茶にしてしまったから、など世間話でそんな会話を何度か耳にしたことがあった。


なんとなく先生は子供さんを亡くされているのかもしれない、と思っていたけれど、決して聞くことはできなかった。他のメンバーさんは10年以上のお付き合いの方ばかりなので皆さん知ってらっしゃると思われるけれど、一切触れることもないし、他の方に聞くこともできなかった。



それが先日のお彼岸の時に、息子の葬式の時には~と、葬式と言う言葉を聞き、やっぱり、と確信した。いつ頃なのか、病気だったのか、事故なのかもわからないし、今後もこっちから尋ねることはないけれど、80歳になる先生も深い苦しみを抱えて生きてこられたんだな、と知った。


もちろん日頃そんな様子は欠片も見せることなく過ごされてはいるけれど、人はどんなに苦しくてもやはり命がある限りは生きなくてはならないから、苦しみや葛藤を飲み込みながら生きてきて、飲み込んだ葛藤は栗のいがのような鋭い痛みがあるけれど、時と共にいがは丸みを帯びて生きやすくはなるのだろうけれど、決して飲み込んだものは体の中でなくなりはしないのだと思う。


こうして語っていると、やはり想像でしかないと思われるだろうけれど、苦しい苦しい恐怖の想像だ。孫のやまとが産まれてから16年、ずっと長女夫婦や私達はその恐怖がある。


脊髄性筋萎縮症と言う難病で、寝たきりで自ら体を動かすことができず、人工呼吸器の必要な孫だ。当時は生きていてもこれほどの難病を我が子、孫が背負っていることは絶望的な苦しみだった。


それでも、長女夫婦は自宅で必死に介護と子育て、教育にと頑張ってやまとは普通の子供と同じように幼稚園から始まり毎日付き添い高校生にまでなった。やまとが体調のいい時は全く普通の家庭と変わらなく幸せに過ごせているのだけれど、ちょっとしたことで命を落とす危険はいつも抱えている。長女夫婦には常に緊張感がある。


このところずっと調子のよかったやまとが先週あたりから調子を悪くして、(やまとの場合は病院に行っても結局は吸引しかできない)家でかかりきりになり、吸痰を繰り返し、酷い時はアンビューといって手で酸素を送り込んだりする。


その間は妹のうたはほったらかしになる。やまとには命がかかっているから。そんな様子が続いていたので長女にうたを預かろうか、とラインをすると、いくらかよくなってきた、と言う。けれどまだ油断はできないけれど、うたは友達と遊んでいるから大丈夫だと言ってきた。私達にはうたの面倒をみるくらいしかしてやれることがない。買い物等はあちらの姑さんが引き受けて下さっている。







いくらか楽になった様で少しだけ安心したけれど、私達は遠くてしてやれることは少ないけれど、長女達はいつも必死で命と向き合っているのだ、と、やまとが元気にしている時は安心してしまっているけれど、いつ調子を崩すかわからない日々を生きているのだ、と今回のように不調が続くと思い知るのだ。必死で守っている命を失なってはならない。


亡くなったS君もきっと後悔しているのかな、と思う。でもその時は生きていけないほど苦しかったのだから仕方ないね。誰も責めたりできないよね。


それでも残された家族はやっぱりついてはいけない。生きていかなければいけないから自分の命を守って生きていくしかないのだ。


私の人生も、それほどは長くはないだろうけれど、歳をとるほどにあちこち痛いし諦めることも増えるけれど、今まだ生きているから悲しい人には寄り添いながら、長女一家には助けになりながらどうにか生きないとね、と思う。せっかくのこの世の命だからね、寿命尽きたらさよならしよう、と散りかけた桜に語りかけるのだった。


春の雨

花を散らせて

降り続く

生きよ生きよと

土に染み込む