前回の記事で食器棚に取っ手を取り付けてもらい大変助かったことを書いた、その取っ手とは最寄りのホームセンターで購入したものだ。
一つが300円もしないほどだった。8つ入り用だったけれど、予備にと10個購入した。それでも3000円程度で購入でき、そのお陰で私の暮らしの一部がとても助けられたのだった。
ただ取り付けの際に、食器棚の板材がとても堅くて、付属のネジ釘が折れてしまった。結局二本のネジ釘が折れて、予備にと買った二つの取っ手のネジが役立った。その後ネジ釘が折れないように予め少し穴を空けてからネジ釘を留めたので折れずに8個の取っ手を取り付けることができた。
その時ふと、舞ちゃんのASAKURAのネジならこんなことはないんだろうな、と思った。もっともお値段はもう少し高くなるだろうけれど。うちで買ったのは、ネジ釘を含む取っ手ひとつがおよそ300円ほどのものだ。おそらく輸入品なのかな、と思う。こんな値段で買えるのだから。
素人のちょっとした家具の修繕などに使う場合はこれで充分だし、安く購入できれば助かるのだけれど、ひとつのネジの具合で危険を伴うような物の部品だったりしたら、キチンとした技術で作られたネジが必要不可欠なことだと思う。
今の朝ドラは、そんな技術を必要とする物を作り出す東大阪の物作りの町工場地帯が舞台のひとつになっている。けれど1軒1軒小さな町工場では経営も厳しく工場をたたむ所が増えてきていることをドラマを通して知った。
ドラマではそんな町の工場を救いたい、手助けしたい、と主人公舞ちゃんが奮闘している。そんな舞ちゃんの口から語られた言葉が胸に響いてくる。
ほんまええもん作ってんのに、その良さに目を向けてもらえへんままどんだけ安くできるか競争させられる。まわりに合わせて言われるままに値段下げてるうちに自分のええとこなくしてしまうねん!
この言葉は物作りの町の工場にだけ当てはまる言葉ではないような気がした。人間にも当てはまるような!
社会と言うか世間の基準に合わせることに必死になって、そこに当てはまらなければ規格外の自分だと自分を卑下してしまう。周りの言葉やマスコミの言葉の言うなりになり踊らされてしまい、自分の良さに自分で目を向けることすらできなくなった人間の姿と町工場が重なる。
そしてこの朝ドラが凄いな、と思うのは、こんな現状をなんとかしたいと頑張る舞ちゃんの傍らで、まさに舞ちゃん貴司君夫婦の繋がりの様に短歌が登場する。町工場を救いたいと思う舞ちゃんと、全く違う立場ではあるけれど、周りに合わせてすり減った人間の心を救いたいと言う思いを短歌に託して癒そうとする貴司君の思いが綺麗にリンクしているのだ。
小学生の頃いつも仲良くデラシネに来ていた大ちゃんとひなちゃん。中学生になってから少しだけ二人の距離が変わってきた。そして大ちゃんのことをキモい、と言うみんなと一緒になって自分もそう思っていないのにキモい、と言ってしまった。
そんなひなちゃんが、貴司君に辞書をめくりながら、言葉ってこんなにいっぱいいらんくない!?ヤバい、キモい、可愛いだけみんなに合わせて言ってたらやっていけるんや。
その言葉を受けた貴司君が、言葉がいっぱいあるんは自分の気持ちにぴったりくる言葉を見つけるためやで、と伝える。そしてさらに、ひなちゃんにピッタリなんはどっちやろ!大ちゃんに会いたないんか、合わせる顔がないんか!
決して注意するわけでもない貴司君の言葉もひなちゃんにピッタリな言葉として届いたんだと思う。後日ひなちゃんは大ちゃんに謝ることができた。
この朝ドラには何回神回があるんだろう!?面白さの中に心に訴えかけてくるものがなんと多くあるドラマだろう。
そして今、何でも安く安くと安さを求め値切りたい消費者にも技術や工場、生産者を廃れさせる一因はあるのだと思うし、価値ある物にはその価値に目を向け認め、それ相応の対価を支払うのは当然のことなのだと思う。けれど、自分もホームセンターや100均で安い物を求める消費者の一人でもある、と言う複雑な心境!もっと物や人の価値を大切にしたいのに。
この心境を短歌にすると・・・日本には沢山の言葉があるけれど、その中から自分にピッタリの言葉をと探してみても・・・
この心境 今世じゃとても詠めやせず 来世になって 詠むとするかな
なんて感じ😅
そう言えば朝ドラと対をなすようなNHKの大河ドラマだけれど、今年はまだ始まったばかりだけれど来年は、光る君へと言うタイトルで紫式部の人生のドラマだと言う。紫式部と言えば知る人ぞ知る平安時代の歌人ではないですか!😳その人生を観られるなんて!!今再び短歌がきている!と感じる。紫式部さんなら私のこの心境を一体どう詠むのだろう。