昔見ていた景色の奥 | やまとうた響く

やまとうた響く

日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

先日の記事の続きになるけれど、ふるさとの海底炭鉱は大変危険で海水流入事故は頻繁に起きていた。特に犠牲が大きかった事故は1916年(大正5年)、宇部炭鉱のひとつ、東見初炭鉱の事故で犠牲者は235人にのぼった。

その後も1942年(昭和17年)の長生炭鉱の水非常と言われる坑道水没海水流入事故で183人の犠牲者がでた。そのうちのおよそ7割の136人は朝鮮人労働者だったと言う。

そんな大きな事故をなぜ地元の人間の私が知らなかったのだろう!?生まれる前のことだと言っても歴史に刻まれていれば地元の歴史を学校でも学ぶはずだ。

そう思ったけれど、太平洋戦争に突入した翌年出来事で、その出来事はそのまま伏せられたのだった。宇部市の歴史に刻まれることなく抹殺されていたのだ。

そしてさらには犠牲者の遺骨はいまだに引き上げられることなく海の底に眠ったままなのだ。事故から80年が過ぎた今でもまだ。

私が過去に見た炭鉱の跡は60年経った今では撤去されていると思うけれど、長生炭鉱の犠牲者が眠る海にはまるで墓標の様にピーヤと呼ばれるコンクリートの排気口が二本残されている。


画像はお借りしました。

私はこの光景は見たことはないけれど、今、まのあたりにしたら本当に怖ろしいと思うだろう。当時の炭鉱跡を見ただけでも何やら不気味で怖ろしく感じたのはただ廃虚化した姿が気味悪かっただけでなく背景のこんな出来事がそうさせていたのかもしれない。

どんなにか苦しかっただろうか。まるで地獄絵図だったことだと思う。それに加えて異国の海の底で命を落とすことになった朝鮮人労働者の無念は計り知れない。

そしてその海からさほど遠くはない海水浴場ではほとんどの市民が何も知らずに海水浴を楽しんでいたのだ。私もその一人だった。


私が通っていた小学校には朝鮮人の子供達も何人かいた。ボタ山があったあたりも同じ学区だったから朝鮮人部落があった。今思うと朝鮮人の子供達の家族は炭鉱労働者だったのかもしれない。

炭鉱は1967年に閉山しているからすでに炭鉱の仕事を失い、かといってまともな仕事にも就けなかっただろうから、当時の朝鮮人部落は小屋の様で貧しかった印象がある。

その後朝鮮人の子供達は朝鮮学校に転校していきほとんど見かけることはなくなり、いつのまにかその子達のことも忘れていった。そして日本はだんだんと高度成長の波に乗り豊かに発展していった。宇部市も石炭から化学工業へと移っていき発展していった。


久しぶりに一人の朝鮮人の同級生の消息を知ったのは私が18歳くらいだったろうか、新聞の死亡欄で彼を見つけた。死因は車の中でシンナーを吸っていてそのまま死亡していたらしかった。当時の不良と言われた子達の間でシンナー遊びが広まっていた頃だった。


朝鮮人の子供達が皆そうとは限らないけれど、亡くなった子はシンナーに溺れ車の中で(まさか死んでしまうとは本人も思っていなかったろう)命を落とす様な過酷な人生だったのかな、と思うと今も胸が詰まる。もちろんどんな人生であってもちゃんと生きている人もいるのだけれど。当時は自分も若かったから、自分と同じ年の知っている子がこの世にいなくなった、と言うことは衝撃だった。


高度成長の時代の中でも生き伸びてはいても取り残された多くの人生もあった。そして、多くの犠牲の上に成り立った発展であり今に至っていたのだった。そのことを知らない人がほとんどだと言う現実に驚愕する。私も66歳の今になって初めて知ったのだから。


遺骨はいまだに引き上げられてはいないけれど追悼碑は建立されている。それも2013年の建立なので最近のことだ。こうして今ネットなどで事実を知ることになったのもそんなに前のことではないのだろう。ご遺族は遺骨の引き上げを切に願われているけれどまだ実現していない。



画像はお借りしました。


今まで宇部市が発展できたのは石炭のお陰で多くの犠牲者の上に成り立っていたのだ。それを知らずに浮かれていた。宇部ダイヤ黒のことを知らなかった、などと言っていたけれど、そんなことよりもっと大切なことを知らなくてはいけなかった。


私が知ったからと言って何も変わりはしないけれど、私は知らずに一生を終えなくてよかった。知ってよかったと思う。きっかけは宇部ダイヤ黒のおかげだけれど。


これから先のふるさとは是非遺骨の引き上げに着手して欲しい。亡くなった命は戻らないけれど、ちゃんとその存在を認識して隠された事実にちゃんと向き合い日に当てなければいけないのだと思う。その一歩が遺骨の引き上げだと思う。遅きに失しているけれど。私も知ってしまった今、二度と忘れられない。


そうしていつかほんとに誇らしいふるさとになって欲しい。あの二本のピーヤが脳裏から離れない。あのピーヤだけは 決して忘れないためにも残しておいて欲しい。事実上の墓標なのだから。