昔見ていた景色 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

前回宇部市の石炭をイメージした銘菓、宇部ダイヤ黒、の記事を書いた時はちょっと調子に乗っていた。小さな村から石炭採掘を経て小さいながらも化学工業の市として発展して、全国的にも知れるようになってきた銘菓もあって。がんばってるな、ふるさとは、と。

けれどあれから石炭時代の歴史を検索したり自分の記憶を辿っていくと全く知らなかった歴史にたどり着いた。

私が小学生の頃には石炭が掘られることはなく、化学工業へとすでに移行していたけれど、当時はまだ炭鉱跡の片鱗も残ってもいた。

私が三年生くらいの頃に仲の良かった友達の家に遊びに行っていた時に、友達のお母さんがバケツを持って出掛けるところで、友達と一緒について行ったことがあった。

そのお母さんが行ったのはすでに閉山になっていたのか、真っ黒のボタ山があるところだった。私はボタ山を見たのはその時が初めてだった。ボタ山とは石炭を採掘した時に出る硬石を捨てて山に積み上がったもので、まだそんな場所が残されていた。

これはお借りした画像で場所も当時のものではないけれど、こんな感じのボタ山だった。

友達のお母さんは、こそこそした様子でボタ山までは簡単な柵があって行けないけれど、かなり近くまで行き真っ黒な炭の粉を掬い取ってバケツに入れた。訳もわからず私と友達も同じように炭の粉を掬ってはバケツに入れた。

バケツ一杯になると持って帰って水を混ぜてこね回し、小さな豆炭を作った。私は粘土遊びの様で手を真っ黒にしながら楽しんで同じ様に作っていった。その子のお母さんが、家の人が真っ黒な手で帰ったらびっくりするね、いったい何をしてきたのかって!と言って笑った。

その家では七輪も使っていて、それに豆炭を使うのだった。今思うとその程度の炭を勝手に持って帰っても操業もしておらず誰もいないボタ山なのだけれど、やはり泥棒だったのでは!?と思う。私は幼くして泥棒の片棒を担いでいたのだった。

そんなことを思い出しつつ、ある不思議に思っていたことも思い出した。炭坑が多くあった、とは聞いていたしボタ山もあるのに、それは町の中で、普通は山を採掘するのだろうにそんな山など何処にもない。いったいどこで採掘していたのだろう。

そして検索してみて宇部市の炭鉱は、海底炭鉱だったと知った。海ならさほど離れていない。それで私のおぼろげな記憶のピースがピタリとはまった。

海水浴などで行った海のあたりに何だかわからない錆びた鉄筋の骨組みの様なものや朽ちかけたコンクリートがあっていったいなんだろう、と思っていた。古びていて廃墟というか、なんとも薄気味悪い思いがしていた。そしてそれは当時の炭鉱の跡だったのだと初めて知った。


これもお借りした画像だけれど、こんな感じでもっと低くてこの半分より下だけくらいの朽ちたコンクリートもあったように記憶している。60年近く前の子供の頃のことだから正しい記憶とは言えないけれど。

こんな感じのものが海近くにあって私はほんとにぞわっとした記憶だけはは鮮明にある。60年近くたって疑問に思ってきたことが初めて解明できたことだった。思いがけなく宇部ダイヤ黒からたどり、解明のきっかけになってくれた。

けれどまだまだ知らない衝撃な歴史もあったけれど、長くなるのでまた。