7月になった | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

何やら猫騒動に明け暮れている間にもう7月になって6日になっている。一年の半分が過ぎたのだな、と日々の過ぎる速さに驚く。

前半は膝の痛みに苦しみ、手術や入院リハビリをしながらようやく復帰をして今に至るのだけれど、そんな自分としては大変だった出来事も過ぎてしまえばずいぶん前のようにも感じる。4ヶ月前のことなのに。

ぼやぼや生きていたらあっという間に寿命が尽きるな、と思ってしまう。

ちょっと話が飛ぶのだけれど、毎週プレバトを観ていて、特に俳句のコーナーが好きなのだけれど、先週の梅沢富美男さんの俳句が素晴らしかったな、と初めてと言っていいくらい俳句の素晴らしさに感動した。

梅沢富美男さんの一句は。

祭り果て
開くや風の
通り道

今回のお題は、キッチンカーだったけれど、梅沢富美男さんの時代はキッチンカーなどなくて、祭りの屋台がずらりと並び賑わうけれど、祭りが終わると少しずつ人がいなくなり、屋台の並んだ通りにすっと風が抜けていった、と言うのを詠んだと言われた。

それだけでも清々しいけれど、夏井先生の解説に、より深く染み入るものがあった。

私は長く生きていても無知で知らかなったけれど、夏の祭りは悪疫退散の意味があるのだとか。

春祭りは田の実りを祈願するもので、秋祭りは田の実りに感謝する意味合いなのはなんとなく知ってはいたけれど、夏の祭りはそういえば何だろう、と恥ずかしいけれど知らずにそう思っていた。

夏井先生の解説で、やっと理解した。そして梅沢富美男さんの句の解説をさらに改めて聞くと、あぁ!となんともより一層清々しくて、俳句のわずか17音でこんなに心震える作品になるのか、と感動した。

ただ賑やかなイベントとしてだけではない、祭りの意味を知ると、その祭りが終わると、何かが開く!そしてそこには清々しい風が通り抜けていく。まるで悪疫を掃き出したかのように。

梅沢のおっちゃん、すごいな、と思う。一見チャラい遊び人風にも感じるけれど、今までの句も、とても気持ちのいい句が多い。あの人の本質は綺麗な魂なんだな、と思う。ちなみにあくまで個人の感想というか、好みの問題だけれど、東国原英夫さんは、なんとなく好きになれないし、句も好きではない。

東国原英夫さんも永世名人で、いつも素晴らしいとされる句を作られるのだけれど、素晴らしくても嫌いだな、なんてことはあるよね。

今回の梅沢富美男さんの句は夏井先生にも大いに褒められ句集の掲載決定!(番組を見ない人には意味不明でごめんなさい)

6月30日の夏越しの大祓いがそういうことなんだな、と前半が終了した今改めて思う。悪疫退散の後のこれからの後半を清々しく過ごしていければいいな、と思う。

手始めにするのは、漬け込んだ梅を干すことかな。干した梅で一句!詠めたらいいんだけれどね。俳句を創る才覚は一欠片もそなわっていない。残念だ。その分梅干しを作ろう。