父の命日に想う | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

今日は父の命日だ。もう30年以上になる。当時肝硬変で59歳で亡くなった。今から思えば若くに亡くなったと思う。父の亡くなった歳を超えてしまったのが不思議で仕方ない。

若い頃から大病もして手術も何度かしているので見かけは今の私よりかなり老けてはいたけれど、私より若くして亡くなったんだな、と自分も歳を重ねて改めて思う。どんな気持ちだったんだろうか。

当時の私は3歳の長女の子育てに追われていた時で死をまえにした父の気もちを慮ることもできていなかった。

ただ昔のことだから今ほど寿命は長くはなかったし、病気がちな父にしては私が成人して結婚もし孫も見せることができてよく生きてくれたとも思う。

それでもその後87歳まで長生きした母を35年も置いて先に逝ったのはやはり早すぎる。今は2年ほど前に亡くなった母と会えているだろうか。

今まで父の人生を考えたことはなかったけれど、先日の火鉢の記事で祖母のことを書いたけれど父の人生も短いながら前半は波乱も多かったようだけれど、母と結婚したあたりから平穏に過ごした人生だったかもしれない。病気はよくしたけれど。

先日の記事では祖母の煙草のことを書いたけれど、当時女性が煙草を吸うことは珍しかったと思う。お酒も時には昼間から飲むこともあった。

一人きりの孫の私のことはとても可愛がってくれていたけれど、私はどこかよそのおばあちゃんとは違うな、と思っていた。子供だからどう違うのかよくわからなかったけれど、今感じるのはどこか、かたぎではないような玄人っぽいようなものを感じでいた。

小さな頃に父の昔話のなかで、材木屋をしていたらしく、当時九州のある地方では幅をきかせていた様で、旅の演芸一座などが来たときは挨拶にきていた、とか、父が見に行くと子供は馬鹿にされて見せてもらえず帰ってきて父の祖母に訴えると、烈火のごとく怒って父を連れて怒鳴り込み、平謝りさせて一番前の席が用意されたとか聞くと、材木屋とは表向きで、かたぎじゃない!ヤクザだったんじゃないのか、と思っていた。

祖母も私が近所の子供にちょっと押されたり何か言われたら、やはり烈火のごとく怒鳴りつけたり、子供のことなのにそれが私も子供だったけれど嫌で仕方なかった。ばーちゃんっ子で大好きではあったけれど、そういう所はほんとに嫌だった。

父も大人しくて気が小さかったから嫌な思いをしていたと思う。

私は絶対やくざだ、と思っていて、父の手術の後が昔の手術だから傷痕がけっこう残っていて、ほんとはヤクザの喧嘩で切られたのかもしれない、とか疑ってみたり。実際切られていたのだけれど。メスで個室(手術室)で。

羽振りはよかったようだけれど、台風で材木がどんどん川に流され、それを止めようと私の祖父が川に飛び込み、結局材木と一緒に流され命を落としたそうだ。

そんなこともあり、また戦争で家も全部焼かれて九州から親戚を頼って山口県に渡り、それからは山口県で苦労もあったと思うけれど、普通の会社員として暮らしていくようになったようだ。

祖母はよくうちは貧乏だ、と言っていて、父がもっとしっかり一旗あげれば、などと思っていたようだけれど、私は別にお金持ちではないけれど、普通じゃないの、と思っていた。父も母も働いていたし、子供も私一人きりだし、そんなに暮らしに困っていた記憶はない。

母が働いていたのも昼間祖母と一緒に過ごすのが嫌だったからだと思う。

それでも祖母は昔の羽振りが良かった頃と比べると貧乏だと感じたのだろう。

私はずっと祖父母はヤクザの一家だと思っていたけれど、以前ある映画で材木問屋の様子を見ることがあり、朝ドラでもトトねえちゃんのお祖母さんが、材木問屋の親方で、昔父の言っていた話と似ている雰囲気で、昔の材木問屋は、威勢が良くて、少しばかりかたぎではない雰囲気がただよっていたんだな、と感じた。

なるほど、別にヤクザの親分でもなかったか、と思ったけれど、うちの父は長男だったけれど気は小さいし体も弱くて、そんな所の跡を継げるような人間ではないし、焼け出されて普通にサラリーマンとして穏やかに生きれるようになったのは幸せだったな、と思う。

もっと当時の話を聞きたかったな、と今頃思うけれど、当時のことを知っている人間は今は一人もいない。

母と違い早くに亡くなっているので亡くなる前も頭もちゃんとしていたから聞こうと思えばちゃんと聞けたのにその時は全く父の昔の話には興味がなかった。目の前の子育てで精一杯だった。

今思い出す昔話も私が子供の頃にとぎれとぎれにたまに聞いていた程度だから実際はどうだったのかわからない。大人になってからちゃんと聞いておけばよかった、と思う。

でも父も私も羽振りのいい生活というものは肌に合わない質の様で、父は最期は穏やかに亡くなったと思う。

唯一残念なのは、父は男の子が好きで欲しかったのだけれど、私も孫である長女も女の子だったことかな、と思う。尤も私も長女もとても可愛がってくれたけれど。

もう少し長生きしていたら、次女にも、そして念願の男の子、長男にも会えたのに、と思う。今はあの世で長男の様子をにんまりと眺めているのかもしれない。まったく頼りない奴だけどね。頼むよじーちゃん!こんなとりとめもないことを思い出したり、それでもこれも供養になるかもしれないな、と思う。