そんな朝ドラは喜美ちゃんが火鉢の絵付けに出会い深先生の弟子にしてもらうに至ったところで終わっている。
その深先生演じるイッセー尾形さんの金曜日の演技はことさら素晴らしくて録画しているものだから何度でも見てしまう。
朝ドラには今までも数々の名言が語られてきているけれど、特に心に響いた。
深先生が絵付けをしている姿は見ない方がいい、と言われた喜美ちゃんは気になって見てしまう。
その時の顔は、喜美ちゃん曰くアホみたいにへらへらと、そして嬉しそうな幸せな顔だった。その時の演技の素晴らしいこと!
そして見られてしまった深先生は恥ずかしい〜と言いつつ喜美ちゃんに今までのこと、そして今の気持ちを語る。
子供の頃貧しかったけれど、絵が美味くて、欲しい物を自分や家族のために描き、え〜よ〜と喜んでもらい幸せに絵を描いて、いつしか日本画で有名になったけれど、戦争が始まり、戦地に行かされ戦争の絵を描かされるようになり、
戦争が終わっても絵を描くことができなくなった。
そんな時に火鉢に絵が描かれているのを見て、衝撃を受ける。暖をとるために絵なんていらんやん。そやけど描いてある。どういうこっちゃ?そういうことか!
そうか、これが戦争が終わったちゅうことや。なんと贅沢なことを日本は楽しむようになったんや!火鉢に絵!え〜よ〜!
以来気持ちがこぼれるんや!なんと幸せなことか!わろてしまうんや!楽しゅうて、嬉しゅうて、この火鉢を前にして幸せになる人のことを思うとついアホな顔して笑ってしまうんや!
その話を聞いて喜美ちゃんは思わず涙する。見ている私も何やら気持ちが暖かくなってうるっとする。
この場面を見た日はまさに大嘗祭の終わった日の朝だったのだけれど、ひとつの時代が変わった日の朝に、なんと日本は贅沢なことを楽しむようになったんや、え〜よ〜、と言うセリフが令和の素晴らしい未来を語っているような気さえする。なんと幸せなことか、楽しゅうて嬉しゅうて、そんな時代になるに違いない。
そして喜美ちゃんに、絵付けがしたいのか、絵付け師になりたいのか、と問う。絵付け師になりたいなら仕込んでやる、と言う深先生に、でも私にはお金が、と躊躇する。そんな喜美ちゃんに、お金がないことに気持ちが負けたらあかん!と言うこの言葉も素晴らしい。そう、これからは強い気持ちも必要なのだ。
永久保存版にしたいほどの場面だった。さらに土曜日も名言は続く。弟子になって必死に頑張る喜美ちゃんだけれど、必死な顔で深先生のような幸せな顔にはなれない。そんな喜美ちゃんに、はよ追いつきたいと思うとるやろけど、近道はないねん。あってもおすすめせえへん。
なるべく時間をかけて歩く方が力がつく。歩く力はな、大変な道の方がようつく。よう力つけとけ!今しかできんことや!
別に絵付け師でなくてもすべての生き方に通じるんじゃないかと思う。焦らず過程を楽しんで幸せだ〜と一歩一歩。
さてこれから明日からのストーリーに続き楽しみで仕方ない。
ドラマでは火鉢が再三描かれているけれど、私がまだ幼い頃には家には火鉢があったな、と思い出す。柄はなく無地だったから絵付け火鉢のような贅沢な火鉢ではなかったのだろうけれど、火鉢と言えば信楽焼、と言われていたらしいので、うちの火鉢も信楽焼だったのかもしれない。
かなり幼かったのでよくは覚えていないけれど、無地で紺色で、祖母がいつも火鉢の世話をしていた。火箸で灰を整えるのが面白くてやらしてもらっていたことを思い出す。
そういえば祖母は、煙管で煙草を吸っていて、煤けたビガーとか言うキャンディの缶を煙草入れにして、たぶん私の粉ミルクの缶を灰皿にしていたことまですっかり忘れていたのに思い出した。
忘れているようで何かのはずみにそんな細かなことまで覚えていたのか、と驚く。母も仕事をしていたから、祖母と日中は過ごしていたから、火鉢の火から煙草に火をつけていたから、私は幼い頃から煙草の副流煙を吸っていたのか、と思う。父も吸っていたし、今のように健康被害について言われてもいなかった時代だ。
ヘビースモーカーのとーさんのことばかり悪くも言えないな、と思った次第だ🤨
それにしてもあの火鉢はどうしたんだろう。いつの間にかなくなっていたけれど。今あったらおしゃれな植木鉢くらいに利用したんだけどね。残念なことだ。でも朝ドラのお陰で感動と共に懐かしい思い出に浸ることができた。