今日から全体の始動。
「今年もよろしくお願いします」と年始の挨拶を心をこめてすることは当たり前だと思う。特にお世話になっていると感じている相手には尚更のこと。
しかし、それを実践できる生徒はごく僅か。残念ながら1%いるかいないか。
自分の部活の生徒でも、半数はできずにがっかりした。クラスの生徒は2人だけ

そんな状況だからこそ、当たり前だと思っていることでも、そういった挨拶ができる生徒はすばらしいと感じた。
そんな中、ふと思ったことがある。
世の中、「すごい」と思えるような人は大勢いるが、本来は誰にでもできること、到達できることであり、当たり前のことを実践してきた結果、手に入れただけの話ではないか。やるべきことに気がつき、心を配り、行動し、やりきってきた、その結果にすぎない。
「すごい」粋に到達している人にとっては、自分のしてきた行動、実践してきたことは当たり前のことであり、していない人、しない人のほうが不思議なこと。
それをできるのが、ほんの一握りであるため、当たり前のことでも周りから「すごい」と思われる。
そう、「今年もよろしくお願いします」と心のこもった挨拶ができる生徒のように。
今日の集会では、こんな内容を交えながらの話をした。
本来は、誰でも「すごい」可能性をもっているのに、自分の可能性や限界を勝手に決めては、できない理由を見つけては正当化して生活していく。自分で勝手に決めるならまだしも、そう誘導しているのは紛れもなく、大半が「大人」である。さらに言えばそれが「同僚」である場合も少なくはない。
結果として、成長する自分の実力ではなく、現状の力で手の届く限られた範囲での選択をするようになる。
自分の可能性を信じさせる、本当になりたい自分を見つけさせる、その自分を手に入れるためのサポートをするこの仕事の重要性ややりがいを、再々再々再々再々再々再々再々再々再々認識した一日だった。