久しぶりに不登校の子達の近況を書こうと思います。

 

発達凸凹の傾向を持つ子が多い親族です。勉強がたとえ得意でも社会性の部分の遅れ、という傾向が顕著な子達は、同じ学年の同級生との世界で上手くやれなことが多々あります。主に幼稚園や小学校、中学校初期なのですが・・・

 

そういう子達は、学校に通うことで精神状態が異常に緊張して自家中毒になったりしないように、または考え方がまだまだ未熟で、偏りやすいので、同級生との関わりの中で変にがちがちに他人を敵視・警戒したり、世を拗ねて・・・素直さを置き去りにして心が拗れてしまわないように、戦場のような「子供の世界」からいったん引いて、不登校をするケースが結構あります。

 

その子達の最近の近況ですが、昔よりは格段に過ごしやすくなってきたなぁ、という保護者側の意見が増えてきています。例としては

 

・子供が学校以外で、過ごせる「不登校向けの場所」が増えてきている

・学校からの理解が前よりはある、先生方など現場とうまくいかなくても、仲介・味方してくれる発達相談先が増えている(センター、療育先、病院など)

・家にいながら、学習が続けられる。特に英会話や家庭教師でも、ネットで可能になっている。

 

など、「不登校なんて!ダメです!」とまるで重大な非行に走ったかのように大騒ぎされた大昔と比べて、今は学年に何人か不登校者がいることが「普通」になってきているからか、激しい「学校へ来い!」という督促などもなく控えめで、家庭での、のびのびとした生活を子供が気に病むことなく過ごせるようになってきている、ということでした。

 

ただこれは、以前に過去記事に何度か書いたこともあるように、私達の場合は学校に対して明確に「不登校に関しては学校の責任ではなく、家庭で責任を持ちます」と宣言してから不登校に突入しているから、という前提があると思いますが、学校側に全面的に否定されたり、または責められたり、ということが格段に少なくはなってきている現状です。

 

その前提があっての、親族の不登校をしている子達の様子ですが・・・

 

平日は、親が共働きの家が多いので、家事に関しては「猫の手も借りたい」状態の家が多いです。ですので、

 

「お願い!朝ごはん、トーストにチーズとベーコンのせるだけでいいから、焼いてほしい!」

「帰宅が遅くなる。悪いけど、白ご飯だけ炊いておいて!お惣菜を買っていくから!」

「洗濯機は回したんだけど、干す時間がなかった!そのままにするとカビで臭うから、お願い、干しておいて!」

「冷房をかけているせいかほこりがすごいから、フローリングにクイックルワイパーしておいて!お願い!!」

 

などなど、時間に追われる親が心底困ってお願いする家事のヘルプに、家での滞在時間が長い子達が「いいよ」と手助けしてくれている感じです。

 

親族の多くは家庭ルールを設定していて、

 

午前中にネットやスマホアプリ、通信学習などの教材で勉強するか、NHKの勉強になりそうな番組(虫関係や宇宙、DNAなんかの大人向け番組などもOK」を見たら、午後は好きなことをしてよいというケースが多いです。勉強したよ!とタブレットやPC、スマホで親にメールやスカイプなんかで報告して、日中なら日当たりのいいリビングで、ソファーや室内に置いてあるトランポリンの上で堂々とスマホやPCでゲームしたり、工作したり、という自由活動もOKされている子も多いです。

 

その代わり、毎日ではないですが、月に数回は自分の部屋を片付けて綺麗にしておく、リビングを汚したら家族が帰宅するまでに「皆が座れる・歩けるように落ちているゴミは捨てる、自分のおもちゃやゲーム機は箱に放り込んでおく」などのプラスアルファのルールも守らないといけません。

 

夜は、午前中の学習量が多かったり、かなりはかどったとか、そういう場合には22時までLINEしていいよー、とか、ゲームの続きしていいよー、という嬉しいご褒美もあります。

 

昼夜が逆転しやすいので、朝が起きにくい子は朝日が入る・家族みんなが活動するリビングのソファなどで寝る子もいます。リビングだと、朝は家族がバタバタと大騒ぎですし、母親から「お願い助けて~!」と悲鳴に近いヘルプ要請などがあるので、しょうがないな、と起きて手伝ってくれることもあるわけです。自分の部屋に一人で寝る、というケースは不登校の子の場合なかなか、親族の子達の場合だと「閉じていく一方」になることがあるので、和室の寝室で親と雑魚寝、リビングで寝袋で寝てる、ペットの犬と寝てる、など、ちょっと変わった寝方ですが、一人の世界で完結しないようにしている家庭もあります。一人で生活ペースを組み立てることが苦手なので、家族のペースのどこかに同調させるタイミングが必要かなとは感じます。

 

家族関係は、こうして助けて・助けられる関係だと良好な場合が多いと思います。

 

あとは、両親が共働きで子どもが家で不登校、でも学習は通信やがくげいの学習ソフトで(参考:過去記事 )それなりにやっている・・・その場合、「思いっきり、こどもがやりたいこと一つに付き合う」ということが平日は少ないので、家でコツコツ、「その子のムラがあるけど、決してゼロ・全くしないという状態ではない・一科目だろうと、1ページずつだろうと、少しでも学習努力をしている」場合、夏休みなどに「思いっきり、好きなことをやろうね!」と、親もお休みを取って子供に付き合っています。

 

子どものしたいこと、は結構単純です。一日中、山で虫取りをしていたい。海で生き物を探したい。昆虫館で遊びたい。巨大アスレチック遊具のあるところで一日中遊びたい。室内遊技場でずっと遊びたい。ショッピングセンターのゲームセンターで思いっきり遊びたい。映画館に行ったり洋服を見たり、プリクラを取ったりお友達とするようなことをお母さんと二人でやりたい。

 

そんな「特別な希望」が、子どもの中にはある場合があります。その子の年齢に応じて、親がしたいことや親がさせてみたいことではなく、親にとっては「しんどい!付き合うのちょっと辛いな~!」という内容だったりしますが、休み前に「頑張った」形跡がどこかにあれば、それを盛大に「頑張ったこと」として子供に「やれたんだ、すごいね」「ここは得意なんだね」「へえ、ちょっとやってみようって気になったんだ」などなどと言葉にして、「だからその結果に対しての対価として、楽しいことを特別許されていいよね」という感じで、子どもがウキウキするようなことを一つする、みたいな感じです。

 

これも「時期」というのがあり、子どもが外に全く出たくない時期があったり、子どもの希望と親の提案がミスマッチだったりして外すこともあるので、「特別なことが一緒に楽しめる」時期まで待つことも大事です。

 

今年で言えば、一人の子が、親との関係を一歩進展させました。その子は基本はおおらかで、あまり周囲からの評価や他人との関係を気にしない性格でした。どちらかというと鈍感でにぶい特性が強かったわけです。が、小学校4年生という学年になり精神面が発達してきたからか、少し周囲のお友達の言動に敏感になり始めました。そのタイミングでクラスメートの男女両方からの言葉に打ちのめされる出来事が不幸にも短期間で立て続けにあり、「今まで自分はこうして人と違うことで嫌がられてきたのか・自分はみんなからそんな風に思われていたのか」と急激に自信喪失し、不登校に突入したケースがありました。

 

発達凸凹の子供で一番心配なのが、自信を喪失するケースです。自信が何か一つ、習い事でも特技でも、得意な科目でもあればそれが支えになることがありますが、それでも「子ども」なので、目の前の度重なる不運な出来事にたやすく打ちのめされることがあります。瞬間的に心に打撃を負うと、一気に生きていくエネルギーを喪失するような、瞬間鬱病のような極端な状態に入ることがあります。何を言ってもだめ、なぜなら本人の心が、精神世界が閉じてしまうぐらいに辛かったから、そしてその「落ち込みの原因」が自信喪失の源であるならば、その部分に自信がない以上、どうやって浮上できるのだ、という感じです。

 

この場合、「本人の生命力であるエネルギーが回復しないとどうにもならない」というのが親が実感することだと思います。その子供にとってつらい・衝撃的な出来事や不運は「たまたまの不幸な出会いと、狭い世界で偶然に経験した、小さい世界でのこと」という、世の中は広くて、そんなひどいことは避けられる、今後もそんなことが起こりそうな場所は選ばなくてよいのだ、という「自由がある、苦しさを避ける道がある」という話が頭に入るまで、唯一の味方となれる家族や第三者が、子どもの様子を見ながら繰り返し話してやり、時間や年数をかけて「過去の話」となるように癒す、消化していく、希望ある未来を指し示す作業が必要になります。

 

こうした経過を5年生、6年生と過ごし、中学1年生になった親族の子は、この夏、7月の学習を頑張った、ということでそれまでは癇癪と泣き叫びでまともに話し合いなどできなかった母親と、「特別にやりたいこと」のリスト実施をすることになりました。母親と少し遠い場所へドライブし、雑誌に載っていたちょっと贅沢なカフェで、食べたかったフワフワのホットケーキを食べ、かわいい洋服を試着したりして母と子でお互いに「どう?」と聞きながら、服を選んで買ったり、クレーンゲームを楽しんだり、友達がやっていると聞いていたプリクラを体験したり、母も家事から解放されて昼も夜も外食にして、二人で食べたいものを食べ、ぶらぶらとショッピングしてちょっと多めの予算で好きなファンシーショップで小物やぬいぐるみを買う、アイスを食べる、など夜遅くまで二人曰く「やりたい放題やった」そうです。

 

帰りの夜道を走る車の中で、二人とも「楽しかった。またやりたいね。」と、ファンシーグッズなどの戦利品を膝に抱えながら、親子共に久々の満足感を得られたそうです。

 

二人のプリクラの写真は親族にスカイプで回ってきていて、「すごく楽しそう、幸せそうだ」と感じました。

 

「何が」という証拠、確証はありませんが、親族の今までの子供達の例から言うと、この子は「過去から出てきて、今を生きれるようになってきているタイミングだ」と思います。時間はかかっても、子どもは体、精神、いずれかの部分がたとえ不登校でも、家にいたとしても、必ず少しずつ発達していますから、その発達の過程で上記に書いたような、絶望を絶望のまま、自信喪失した原因を原因として残したまま、にしなければ、少しでも違う視点や異なる世界のことを知識として仕入れ始めたなら、「絶望していた時の子供」とは違う歩める子に変化していきます。

 

その一方で、動くのすら大変、夏を乗り越えることが体調的にも大変で、冷房の中でずっとダラダラしている子もいますが、そういう子でも平日に家事をしてくれて、とても親が助かった!というお礼として「家でプライムビデオ見放題!ピザ食べながらゲームもしよう!」と提案した「特別な日」は、楽しかった夏休みの思い出の一つになったようで、お盆で集まったときに「すごい楽しかったー。」と言っていました。

 

不登校の子が思い悩む時期は、不登校を始めた時が一番強く、そしてその後は不安が強くなるのかなと思います。その過程でも、時期が来れば「家庭運営」の中に参加してもらい、楽しいことを家庭で経験し、エネルギーがそうして少しずつたまっていけば、また一歩、そして次の一歩につながっていきます。

 

また、この子達のその後について、おいおい書いて行けたらと思います。

 

 

 

 


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