実家に久しぶりに帰ってきているわけですが、全世界武漢肺炎鎖国期間に母は「うそやん」と思う量の日用品と暮らしていたようで、帰ってきた直後は「この大量のお品をどうやって片付けたらいいのか」と思い悩み、母にも「いらんやん!」とキツ目の言葉を浴びせては、思いっきり反省して、何とも消化できない気持ちを夫にビデオコールで伝えていました。
母との生活も、少しずつ以前のような感じでお互いに慣れてきた感じで、ここ数日は母と一緒に家の片付けができるようになってきました。
私もLBから南の国への引っ越しの際に、夫に「なんで捨てられ(片付けられ)へんねん!」と何度も言われていましたが、どうやら私の性質はHOSSIE家代々引き継がれていたもののようで、「思い出が…」とか「〇〇さんにもらったものやから…」なんて理由を付けては、引き出しやタンスの奥に仕舞ったまま、何年・何十年と経ってしまっているものが多い事なんのって。
特に、父方の祖母のショッピング癖は相当なレベルだったようで、彼女が亡くなって15年以上経った今、未だに購入したまま未使用の状態のものが出てくる勢いです。
ちなみに、彼女が亡くなった後、かなりの時間をかけて三姉妹総出で片付けたにも関わらず…でございます。
たとえば
※デザイン違いで一粒真珠のペンダントが数本 (3人の姪にそれぞれ分配しました)
※淡水パールのネックレスが数本 (こちらも姪たちに分配)
※金メッキのツタンカーメンが付いたループタイ
↑夫に画像を送って、「いるか?」と聞いたんですが
「かっちょええはずやけど僕の好みじゃない」と
即お断りされました
※なんかイカツいメガネ数本
※聞いたことのないブランドのオーストリッチ革バッグ
※ポーランド製ワイングラス
HOSSIE家誰もワインをたしなむ人はおらず、しいて言うなら、
私が500円未満のワインを飲む程度です
※外箱に「バカラ」とカタカナで書かれて保管されていたウイスキーグラス
etc...
父方の祖母は、幼いころから贅沢なんて夢のまた夢な生活を送っており、欲しい物が買えなかった若い頃の反動で、裕福だったわけでもないのに、老年はお買い物に明け暮れておりました。
しかもどうせお金を使うなら、ドーンと高級ブランドを買えばいいものを、中途半端な無名ブランドを山ほど買っていたため、誰かに使ってもらおうにも引き取り手がいない状態でございます…
洋服・靴・バッグ、それぞれあんなに大量に買うなら、おシャネル様やおヴィトン様、ひいてはおエルメス様と等価交換できていた勢いです…
こんな愛すべき祖母M子ちゃんを反面教師に、私も実家に置いたままになっていた私物を色々片付けております。
たとえば、プレステ1とか、アイポッドシャッフルとか、ONKYOのコンポとか(ってかONKYO倒産してたんですね…)。
大量に持っていたKate Spadeのバッグは、女子大生の姪たちに使ってもらうことにして、ポリーニのパンプスやプラダのサンダル、サルトルの新品ブーツ、ほぼ新品プラダのバッグも彼女たちに引き継いでもらいました。
熱帯雨林の山下清先生スタイルな生活では、ブランド品はビルケンシュトックがあれば十分ですしね。
そんな私の新たな合言葉は
人間、生まれるときも死ぬときもハダカやさかい
でございます。
👇7-8年前に夫と出かけたローズボウルで、夫が不意に試着した背広!
これを着た姿は、まさに、岡田真澄クリソツで、ちゃんと、Yシャツとスラックス・革靴を履かせたら、そのまま日本アカデミー賞の司会ができそうな勢いでしたわ。