⬇️始まりです⬇️



さて、どこまで書いたのか…

上を見てくださいね

私も見ます笑


こんな私ですが、なんと、

30代で3人の子どもを授かりました

身体はもちろん傷み放題

姪と甥がいたおかげで気持ちの準備?というか予行練習といっていいのか、初めての〜ではありませんでした、ありがたいことです

この時には、私は結構、子どもが好きだと

そう思っていました


ってことは…ですよね


ただ、上2人の時には子どもたちの方が気を使ってくれて距離をとってくれていたのか、そんなには酷くなかった、こっちにこないで欲しいという感情が、二男からのアプローチにより、激しく出るようになりました


嫌、とか、こっち来るな、とか、触らないで欲しいとか、ね

書いているだけでも悲しくなります

読まれている方も嫌な気持ちになるかと…

申し訳ありません


この、二男への感情が抑えられなくなってきたことが、今回、母への愛を確認するきっかけに


子どもの存在というのは本当に自分にギフトを届けてくれるのだと、そう、感じました

ありがたいことです


幼い頃の私は母に好きと言う言葉を言うことすらできませんでした

理由は受け取ってくれないから

伝えたとしても

何の魂胆があるの?とか

何それ、変なの、みたいな、ね

たまたまそうなのではなく

いつでもそんな感じでした

戦中に生まれ戦後育ち…

愛だの、好きだの言ってられない時代の人

いまになれば、そんなのもあるだろうとは思う


小学校高学年にもなれば多少の労働力になる

やるように言わればやるしかない

それをこなす事によって初めて

スタートラインに立てるのだと知った

何にもしない、できない私ではスタートラインにすら立たせて貰えていなかった


小学校の卒業式の日

お世話になった保護者への感謝の手紙を

わたすことになっていた

式が終わりクラスで最後の先生の話を聞いた

解散後、それぞれが書いた手紙を保護者に誇らしい気持ちを胸に渡した

渡した手紙はその場でみなさん読んでいた

母も読んでくれた

そして一言


思ってもいない癖に

よく書けたね


そう言いました


私は何でそんな事言うの?酷くない?と笑いながら、心の中ではこのクソババアと悪態をつき、要らないなら返してと、手紙を返してもらった

手紙は自宅に帰り、破って捨てました


私は母に対して好きと言う言葉を持つ事すら

諦めてしまいました

そうしないと生きていることができなかったから

そのまま大人になり、気づけば50を超えました


向き合う中で、この時のお母さんになんとう言葉をかけるか?とんな問いに


かけられない

かけたいと思えない


それだけしか言えなかった




間延びしてきました

ごめんなさい

続きます


読んでくれてありがとうございます

はちのすけ